はとバス昭和物語

【旅読人】『はとバス昭和物語 番外編 時代変遷を映す観光バス車両の進化』を公開

 トラベルバリューの連載コラム「旅読人」で、『はとバス昭和物語 番外編 時代変遷を映す観光バス車両の進化』を公開。
 わずかバス10台で、焦土と化した東京で開業したはとバス(当時は新日本観光)。時代ごとに乗客のニーズを的確に捉え、時代の一歩先を行く車両を次々と導入。それは、道路運送車両の保安基準という枠の中での、いかに創意工夫を凝らすかという試行錯誤の繰り返しでした。今回は、はとバスが導入してきた車両の変遷を昭和から平成へとたどりながら、歴代の名車にまつわる時代を映したエピソードもご紹介します。

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復活した都内定期観光バス「都内半日コース」の第1号車「富士号」

はとバスの悲願だった都内定期観光バスが復活した昭和24(1949)年。はとバス都内半日Aコースで、栄えある第1号車となったのは、ふそうガソリン車1948年式35人乗りの「富士号」。昭和20年代の車両にはそれぞれ「富士」のほか「筑波」「はこね」「はるな」「天城」と、関東圏を代表する名山の名前がつけられました。続く昭和24(1949)年にはラジオとマイクが初めて装備され、観光バスとしてのベースが整備されました。
 「旅読人」では、それぞれの時代を彩った歴代の車両の画像が見られます。