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2020.4.7

はとバス昭和物語  第4回 ポスト・オリンピックの難局に攻めの姿勢を貫く(昭和40~44年)

はとバス昭和物語  第4回 ポスト・オリンピックの難局に攻めの姿勢を貫く(昭和40~44年)
昭和39(1964)年10月に開催された、東京オリンピックの観客輸送とオリンピック定期観光コースで、東京を代表するバス会社であることを国内外に知らしめたはとバス。熱戦の興奮冷めやらないオリンピック閉幕後の1年は、「オリンピック施設めぐりコース」が予想外の人気を呼び業績を押し上げた。しかし喜びも束の間、折からの好況により富裕層のごく一部で乗られていた高級輸入車から、国産大衆車の量産体制が確立したことで車社会化へ進展。さらに東海道新幹線利用による日帰り旅行の広域化や増加などから、バス旅行需要は停滞を余儀なくされる。この苦難の時代にあって、はとバスが貫いたのが“攻めの経営”だった。(写真:昭和42(1967)年9月、国鉄が発売した総合旅行商品「エック」(エコノミークーポンの意味)のひとつ「東京エック」に参画。都内の観光案内をはとバスが担当し、東京観光の点で大いに寄与、かつ恩恵を受けた)

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貸切バスに大打撃! “昭和40年不況”下の観光バス事業

昭和40(1965)年、銀座・三越デパートに停車中の定期観光バス

 昭和39(1964)年、日本の悲願であり、戦後最大のイベントとなった東京オリンピックが10月24日に閉幕すると、翌年の10月にかけて日本経済は、“昭和40年不況”に直面する。オリンピック開幕1年前の倒産件数が1,738件に対し、39年には4,212件、40(1965)年は6,141件へと急増(東京商工リサーチ「全国企業倒産状況倒産件数」より)。

 観光需要そのものは不況下でもなお上昇過程にあったが、観光バス業界は東京オリンピックへ向けての国内外の観光客輸送体制の強化など、昭和30年代後半の設備投資のあおりを受け、経営難に陥る会社が続出。なかでも貸切バスの分野は深刻だった。

 業者の急増とそれにともなう車両の増加で、昭和35(1960)年からオリンピック開催の昭和39(1964)年までの4年間で約5,600万人も増加した輸送人員が、ポスト・オリンピックの昭和40(1965)年度には前年比約2,300万人減の大幅な減少となったのだ。はとバスにおいても貸切バス部門は、前年比で輸送人員が11.8%減、収入(関連事業収入を除く)が3.8%減と大きな打撃を受けた。

熱戦の舞台をめぐるコースが大ヒット

オリンピック閉幕直後の大ヒット商品となったのが「オリンピック施設めぐりコース」。写真のはとバスの後ろは代々木競技場

 一方で、オリンピック後も続く観光ブームの恩恵を受け、定期観光バス部門では昭和40(1965)年から42(1967)年にかけて爆発的な需要増を見る。なかでもはとバスの業績の押し上げに貢献したのが、「オリンピック施設めぐりコース」で、昭和41(1966)年3月27日には1日で9,588人の輸送人員を記録するなど、予想外の大ヒットとなる。

 はとバスではオリンピック開催年の昭和39(1964)7月から12月にかけ、「オリンピック記念コース」を定期観光バスコースに特別設定して好評を博し、翌40(1965)年1月にも1ヶ月限定の、内容を充実させた新たな「オリンピック記念コース」を設定。デラックスバスを使用したこともあり、その人気は衰えを見せなかった。

 そこで、はとバスでは、改めて「オリンピック施設めぐり半日コース」「オリンピック施設めぐり1日コース」を設定し、昭和40(1965)年3月から運行を開始する。相次ぐ他社の参入もあって、当時の新聞に『静かなブーム、オリンピック施設めぐり、東京人に大人気』『武道館背に記念撮影、五輪記念コース』といった見出しが踊るほどの活況を呈し、同年1月から12月の1年間に20万3,622人もの利用があった。

 なお、オリンピック関連のコースは惜しまれつつも1日コースが昭和41(1966)年7月、半日コースが昭和43(1968)年に十分にその任を果たし、廃止となった。

“いざなぎ景気”に突入するも、強敵が出現!

マイカーが増えた東京の街を行く、豪華サロン風オープンバス

 昭和40(1965)年は、貸切バスの不振を、定期観光バスがカバー。貸切と定観、2つの柱を持つはとバスならではの強みが発揮される結果となった。しかし、世の中の動きが加速されるなか、はとバスといえど安閑としている訳にはいかなかった。“昭和40年不況”は同年10月に底をつき、日本経済は昭和45(1970)年7月までの4年8ヶ月間にわたる「いざなぎ景気」へと突入していく。

 これは当時の首相・佐藤栄作の政権下、日本政府が初めて建設国債を発行(昭和41<1966>年)したことに端を発する。それまで不況時に行なっていた金融政策では改善せず財政主導の景気対策とし、国債を発行して公共投資を実行。すると戦後最長の景気拡張になるほど好景気となり、国民総生産(GNP)が昭和43(1968)年にはアメリカに次いで第2位を記録。その後も成長率10%以上が長期的に続くことになった。

 これにより国民所得が大きく増え、高度経済成長期時代を謳歌しようと人々の観光旅行熱はますます高まり、昭和40年代前半は昭和30年代を上回る観光ブームとなる。観光事業者にとっては強烈な追い風となったが、好事魔多し。国民所得および個人消費支出の伸びとシンクロするかのように、乗用車の低価格化・大衆化が進み、世はマイカー時代を迎える。道路網の整備や高速道路の開通などインフラも充実。その結果、車社会化の急速な台頭により、乗用車を利用する観光客が飛躍的に増加したのである。

夜の定期観光コースが苦杯を嘗めた東海道新幹線の台頭

昭和39(1964)年10月開業の東海道新幹線。東海・関西エリアから東京への旅の日程を一変させた

 マイカーの普及は、旅客輸送の変化にも端的に現れた。昭和30(1955)年当時、国鉄は旅客総輸送量の55%をまかない、民間鉄道を含めると鉄道のシェアは82.1%にもおよんでいたが、昭和44(1969)年には輸送人員が42.2%、さらに昭和54(1979)年には34.7%と、その比重を低下させていった(国土交通省「陸運統計要覧」より)。

 一方バス業界にも同じ現象が襲いかかる。なかでも打撃を受けたのが路線バスで、その理由は都市部での交通渋滞が引き起こした相次ぐ運行速度低下により、信頼性を奪われたことに起因していた。貸切バスにおいても路線バスほど顕著ではないものの、伸びしろは期待できず、折からの観光ブームにも関わらず、観光バス業界は停滞を続けることになる。

 貸切バスと質的に異なる定期観光バス事業を有するはとバスだが、さらなる強敵が出現する。それは昭和39(1964)年10月1日に開通した東海道新幹線である。新幹線が東京へ日帰りで出かけられるエリアを広域化したため、上京時には東京で1泊するという習慣が薄れ、夜行列車の利用も減少。運行本数も大幅に削減された。これにより、夜行列車までの待ち時間として東京の夜を楽しむ定番だった、はとバスの夜コースの需要に落ち込みが現れる事態となったのだ。

オール・セールスマンの心構えで営業活動を積極化

 東京オリンピックから続いた定期観光バス需要の沈静化、マイカー時代の到来と東海道新幹線利用による東京宿泊の減少などを目の当たりにし、はとバス経営陣に危機感が高まった。

 昭和40(1965)年9月のはとバス創立17周年記念に際し、当時の渡辺伊之輔社長は、乗客の要望に応える適切な観光ルートの開拓、営業部門の一段の強化など、ポスト・オリンピックへ向けての基本方向を示すとともに、市場開拓に向け全社一丸となり、オール・セールスマンの心構えで積極的に行動するよう檄を飛ばした。

 同年10月には、各部門を統括し経営の効率化をはかるために事業本部を設置。翌41(1966)年3月には事業本部のもとに販売課を新設し、全事業にわたる商品の販売促進および誘致を担わせた。次いで昭和42(1967)年にはバス事業計画特別委員会を設け、観光ブーム下の観光バス事業停滞の対処に向けて具体的施策の検討に入る。

 こうした全社的な取り組みの成果は、社員ひとりひとりの日々の営業努力から企業や修学旅行など団体集客へと繋がり、貸切バス部門は昭和41(1966)年度には前年比120.8%となり、以後も堅調な伸びを示すなど好結果をもたらした。

米国人観光客をターゲットに提供事業を活発化

訪日外国人観光客に日本の生活、風習を紹介する「ビレッジアンドクラフトツアーコース」。昭和43(1968)年4月に登場

 昭和39(1964)年の東京オリンピックから、昭和45(1970)年の大阪万国博覧会にかけての時期、日本への外国人観光客は増加の一途をたどった。はとバスにおいても、定期観光外国人コースの輸送人員が大幅な伸びを見せる。これは経営試練のなか、外国人観光客の受け入れ体制強化に力を注いだ結果といえるだろう。

 具体的にはオリンピック前年の昭和38(1963)年に、JTBサンライズツアーと業務提携を行い、昭和39(1964)年1月「セブンワンダーコース」「アートアラウンドコース」、同年10月「湘南・箱根回遊コース」、珍しいコースでは東京→京都を5日間で旅する「東海道アドベンチャーコース」というものもあった。

 また、当時の外国人客の約半数が米国人であったため、世界各国へ米国人を中心とした観光客を送り込んでいた「グレーライン遊覧会社協会(USGL)」と、昭和41(1966)10月に特別準会員契約書を交わす。このUSGL準会員加盟により、はとバスが信頼性の高い観光バス業者であることを来訪外国人観光客に示すことができ、昭和40年代から50年代にかけて、その受け入れ環境を好ましいものにすることができた。

本社の移転新築、各地営業所の強化と矢継ぎ早に展開

昭和43(1968)年2月、はとバスサービス体制の中枢的存在である東京営業所が、東京駅丸の内南口構内に移転オープン

 苦境の昭和40年代前半、はとバスの攻めの姿勢には目を見張るものがある。それを象徴するのが、平和島への本社移転だろう。本社社屋、整備工場等の新築で総額約7億円(現在の24億円に相当)にものぼる大型設備投資とあって、当時の業績を鑑みれば通常なら時期を先延ばしにするところだった。

 しかし、経営効率化こそ40年代以降の交通・観光事業者としての責務である、という渡辺社長の強い信念のもと、役員会も計画を了承。昭和43(1968)年10月に着工、翌年3月15日に竣工し、同18日には本社移転が完了した。この一大事業は、その後のはとバスの経営効率化と安定化に大きく寄与することになる。

 また、はとバスの主力である定期観光バス事業においては、営業サービス体制の中枢的存在である東京営業所を、昭和43(1968)年2月8日に東京駅丸の内南口構内へ移転。同時に東京駅発着所も南口近くに移設した。

 昭和45(1970)年3月からは、羽田空港と都心を結ぶ東京モノレールの発着駅のある浜松町の世界貿易センタービルで案内所新設と同時にバスターミナル発着所も設け、6コースの定期コース便の乗り入れを決定。これにより航空旅客の取り込みに成功。時代の潮流を逃さず、積極展開をはかっていった。

社員海外研修、ガイドの意欲向上など足元の強化も怠りなし

東京に現存する明治の風情と現代を対比させる明治コース。その内容をアレンジして「全国観光地紹介ガイドフェスティバル」に出場

 昭和40年代前半は、インバウンド(訪日外国人観光)需要の高まりにより、交通・観光事業が国際的な性格を強めた時代でもある。はとバスでは世の中の動きにいち早く対応し、昭和38年設置の「外人観光部」を40(1965)年に「外国部」に改称。翌41(1966)年3月には「海外旅行課」を新設し、従来通りインバウンドを主力としつつ、アウトバウンド(邦人外国旅行)も扱うこととなった。

 こうした動きに対応するため、社員にとっても国際感覚の養成が不可欠となってくる。そこではとバスでは昭和41(1966)年2月、第1回社員海外研修として、東南アジア6泊7日のスケジュールで男性社員4人を派遣。以降、多くの社員が参加し、人材育成の面で重要な役割を果たす。また、これと並行してガイドの意欲向上を目的とした諸行事も行われた。

 昭和42(1967)年8月3日には、「全国観光地紹介ガイドフェスティバル」に参加。当時定期観光コースで運行されていた「明治コース」をアレンジした、現代と明治の東京を対比させる斬新な演出は、聴衆に多大な感銘を与えた。

 さらに、昭和43(1968)年3月には、ガイドユニフォームのイメージチェンジに着手。日本を代表するファッションデザイナー・森英恵氏を起用。ミニスカートの女王と呼ばれた英国人モデルのツイッギー来日により、当時流行したミニスカートを取り入れた明るく若さあふれるユニフォームは、マスコミでも大きな話題となった。

“明治百年”を機に高まる歴史熱にもいち早く対応

左から、はとバスの明治コース、赤穂義士コースの乗車券、泉岳寺にある赤穂浪士の墓。

 東京の名所旧跡紹介は常にはとバスが注力してきたことだが、昭和40年代に入るとテーマを絞り、より深く歴史を探ろうとするコースが話題を集め始める。その背景には昭和43(1968)年が明治元年(1868)からちょうど100年目の「明治百年」にあたり、各地で記念行事が相次いだこと。

 また、昭和38(1963)年からスタートしたNHKの大河ドラマが39(1964)年に「赤穂浪士」(原作・大佛次郎)、40(1965)年「太閤記」(原作・吉川英治)、41(1966)年「源義経」(原作・村上元三)など人気作品を次々映像化し隆盛を迎えたことから、国民が歴史に対して高い関心を寄せていた。

 はとバスでは明治百年を見据え、昭和41(1966)年10月に「明治コース」の運行を開始。これは西郷隆盛像や寛永寺のある上野恩賜公園を回り、一葉記念館で明治の女流作家・樋口一葉を偲び、吉原松葉屋(現在は閉店)で開化丼(牛丼)を味わいながら水芸を鑑賞。さらに帆船・明治丸を見学し、鉄道発祥の地・汐留を経て乃木神社へ。そして明治天皇の肖像画が展示された外苑絵画館(聖徳記念絵画館)と、「憲政の神様」尾崎行雄の功労を記念する尾崎記念館(憲政記念館)を見学するという東京に残る数少ない明治を体感するコースだった。

 また、昭和44(1969)年12月13日には、「忠臣蔵」の赤穂浪士討ち入りの日にちなみ「義士コース」を運行。大いに好評を得て、その後も毎年12月には同様のコースが運行されるようになる。

“東京の今”に触れられる好企画を連発

昭和44(1969)年、東京の夜の最新名所をめぐる「東京アドベンチャーナイトコース」。六本木サパークラブでの一幕

 名所旧跡をめぐるコースをはじめ、安定した人気を誇る定番コースとともに東京の最新話題スポットや流行などを取り入れたコースを次々と開発しているのも、はとバスの大きな特徴だ。海外の貴重な文化財を展示する展覧会や美術展の隆盛を受けて、昭和40(1965)年8月に「ツタンカーメン展特設コース」、昭和41(1966)年11月には「トルストイ展特設コース」を運行。

 昭和43(1968)年5月には同年4月に竣工した国内初の超高層ビル第1号、霞ヶ関ビルを盛り込んだ「新東京半日コース」を開始。はとバスはこの新名所を組み込むことを怠らなかった。

 また昭和44(1969)年には当時、爆発的なブームを起こしたアングラ劇団「天井桟敷」を中心とした「東京アドベンチャーナイトコース」を6~7月の期間限定でスタート。舞台を観た後に六本木のサパークラブ・ドラキュラ(現在は閉店)や、赤坂のレストラン・美松ガーデン(現在は閉店)で食事をし、日比谷ツインタワービル(東宝ツインタワービル)でダンスを楽しむというもので、料金2,000円(現在の8,000円に相当)ながら大盛況を呼んだ。

社会科見学がヒットし、さらに予期せぬコースも誕生

昭和42(1967)年、「産業観光コース」で訪れたサッポロビール恵比寿工場

 昭和40年代当時の日本人がいかに勤勉だったかを象徴するコースとして、商業・文化・経済の最先端の現場を見学する社会科コースにもふれておきたい。昭和38(1963)年から続くこのコースを、昭和42(1967)年3月に「暮らしの社会科コース」に改め、行き先を新たに交通博物館(現在は閉館)や、昭和39(1964)年に開館したばかりの科学技術館、毎日新聞社、NHK放送センター(またはTBSスタジオ)をめぐるコースが登場。

 もうひとつ人気があった「産業観光コース」も昭和41(1966)年から内容を一新。最新の技術開発を目の当たりにできる品川区にあったソニー工場やサッポロビール恵比寿工場(共に現在は閉鎖)を取り入れ、一躍話題となった。

 また、昭和40(1965)年には大学進学率の高まりと団塊の世代(1947~1949年生まれ)が受験生になったことから、受験校として注目を集める東京、立教、早稲田、聖心女子、お茶の水女子、慶應義塾大学を回る「大学めぐりコース」が新設。これが受験の下見にちょうどいいとして多いに沸いたのだった。

 企画段階では地方公務員や教員、学生を対象としていた社会科・産業観光コースも、回を重ねるごとに利用者が低年齢化。それならば小中学生にも喜ばれるものを、と昭和43(1968)年8月には子どもをターゲットにした「よい子の夏休みコース」として、夏休みに限定運行。これが子どもたちや親から好評を得て以後春休み、冬休みといった時期に開催された。こうしてはとバスは時代の変化に対応しつつ時宜を得た好企画を連発、躍進の一途をたどっていく。


<「はとバス昭和物語」第5回(昭和45年~49年)につづく>
文:今田 壮
編集協力:株式会社P.M.A.トライアングル
【ご注意】
※本文中に記載の固有名詞、ツアー名称や言い回し表現は当時のものを使っています。現代では自粛すべき表現や一般的ではない言い回しなども含まれております。あらかじめご了承ください。
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