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2020.4.6

はとバス昭和物語 第1回 戦後復興の中で生まれた新しい観光スタイル(昭和24~29年)

はとバス昭和物語 第1回 戦後復興の中で生まれた新しい観光スタイル(昭和24~29年)
焦土と化した東京、そして日本を「観光で復興させる」と夢見た男がいた。戦争のない生活があってこそ、観光産業は成立する。観光とは、いわば平和の象徴なのだ。これこそ自分の生涯をかけて挑戦しがいのあるライフワークである──。その一途な思いを胸に一歩を踏み出したのが、はとバスの前身である新日本観光設立の立役者、山本龍男氏。東京地下鉄道出身で、東京都交通局に勤務経験を持つ山本氏は、その人脈と知識をフル活用し、資金調達、免許申請、車両の払い下げと、各方面へ東奔西走することになる。平和のシンボル〝鳩〟をトレードマークに掲げた、「定期観光バス」という新しいスタイルでの挑戦が始まった。(写真:フロント部にエンジンを乗せたボンネットバス(昭和20年代))

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焦土と化した東京の街に、遊覧乗合バスを取り戻せ!

はとバス(旧・新日本観光株式会社)初の団体貸切バス「成田山新勝寺」ツアーパンフレット

 昭和24(1949)年の元日、一台のボンネットバスが団体客を乗せて都内を出発した。行き先は千葉県の成田山新勝寺。はとバス(当時は新日本観光株式会社)の記念すべきスタートとなった、初詣のための団体貸切バスだ。

 新日本観光株式会社が中古車両6台と営業権を手に入れたのは、初運行の前年となる昭和23(1948)年の8月14日。終戦から丸3年がたち、徐々に復興しつつあったとはいえ、被占領国として日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統治下に置かれ、米や麦、野菜など大半の食糧はいまだ配給制。イモ類、砂糖、とうもろこし粉など代用品さえ間に合わず遅配欠配が続き、物資不足は深刻な状況と化していた。

 そこにきて明治38(1905)年以来の凶作が加わったこともあり、東京の新宿、新橋、有楽町、上野、渋谷などの駅前には闇市が出現。人々は飢えや困窮から着物や宝石、時計など、金銭に変えられるものを次々と手放し、食糧の買い出しや生活用品の確保に当てるといった、生きるだけで精一杯の時代だった。当時の朝日新聞が「国民の体重はおしなべて、平時の1割方減った。これは健康な者が水だけ飲んで、10日間寝ていた状態と全く同じである」と報じたほど、ひっ迫した状況だとわかる。

 燃料不足も深刻で、せっかく入手した中古バスも燃料が手に入らず、そのままでは運行ができない。創業当時、整備士たちの初仕事は、ガソリンエンジンのバスをプロパンガスや松の根からとった松根油で走れるように改造することだった。

またディーゼル車は、東京都交通局払い下げの廃油を利用することも度々あったという。このように、戦争は終わったとはいっても娯楽はおろか、生活もままならない状況であった。果たして観光バスの需要あるのか? 創業者・山本龍男氏は大いなる不安を抱きながらも、これからの日本は観光事業で立っていかなければならないと決意し、東京都庁の元次長・町村金五氏を初代社長に迎え、観光バス事業へと共に邁進する。

日帰りバス運行が決定! 初の女性ガイド誕生

都内見学観光バス(東京定期観光バス)運行開始当初の案内書

 元日の営業開始から3ヶ月後の昭和24(1949)年3月19日。早くも、東京を遊覧する日帰りバス運行に乗り出した。これは3月1日付で東京道路運送監理事務所(現在の東京運輸支局)から、一般貸切自動車運送事業再開届を許可取得できたことで実現の運びとなる。

 当初、外回り線(1)東京駅前発、(2)新宿駅前発、内回り線(1)上野駅前発、(2)新橋駅前発の4系統を計画したが、世相の不安定さから時期尚早とこれを断念。燃料不足下であることを踏まえ、上野を拠点とし、都内を循環する1系統半日コースの「都内半日Aコース」を企画。無事認可を得て、実現に漕ぎ着けたのである。

 当日、上野駅正面口のバス乗り場には、社員の不安をよそに多くの人々が詰めかけた。創業時に導入された定員35人乗りのガソリンバス「富士」号に乗客が乗り込む。運転者は小座間正義氏、ガイドは藤江静子氏。

夜コースガイドの制服。<左>さわやかなライトブルーの夏服、<右>鮮やかなオレンジの冬服(昭和26<1951>年)

 第1期となる女子ガイドは同年3月14日に5名を採用。募集条件は高等女学校卒業、もしくは同程度の資格を有する18歳以上23歳未満。面接試験の上、容姿30点、性格10点、節度15点、知力15点、声調度20点、注意力10点、計100点の評価で審査し選出された。

 午前9時、全役員と社員に見送られながら、記念すべき第1号車は定員35人乗りのところ視察関係者も含め、ほぼ満員で発車した。

「都内半日Aコース」は、上野駅正面口-上野公園-東京大学-御茶ノ水-皇居前-国会議事堂-明治神宮-赤坂離宮(現在の迎賓館赤坂離宮)-半蔵門-靖國神社-神保町-帝国ホテル-新橋駅-築地-歌舞伎座-日本橋-両国橋-震災記念堂(現在の東京都慰霊堂)-浅草寺-国際劇場前-上野駅の、約4時間で巡る日帰りバスだった。上野公園、皇居前、赤坂離宮、浅草観音(浅草寺)では途中下車し観光を楽しむこともできた。9時と13時の1日2便、料金は大人250円。ちなみに当時の山手線初乗り料金が5円だから、全国から東京観光に訪れる人にとって、まさに夢のコースだったことだろう。最初のうちは、乗客が2、3人しかいないときもあったが決して運休することなく、7月には東京駅と新宿駅からも運行を開始することになる。

 キャッチフレーズは、「お一人でも乗れる東京定期観光バス」。トレードマークの鳩も、運行開始にあわせて登場。現在、多くの人がイメージする「はとバス」の原型は、ここから始まった、といってよいだろう。

 荒廃から復興しつつある昭和の東京を、スピードと平和のシンボル「鳩」のマークをつけたバスが疾走する姿こそ、娯楽を求めていた日本人にとって明日への希望そのものだったに違いない。それを裏づけるように利用客数もうなぎ上りでアップ。営業第1期(昭和23<1948>年8月14日~昭和24<1949>年3月31日)の302万3,000円から第2期(昭和24年4月1日~10月31日)の1,642万4,000円へと急増した。

「鳩マーク」誕生の裏にある、意外な逸話とは?

はとバス初代のロゴマーク、スピードと平和のシンボル「鳩」

 鳩がシンボルマークに選ばれたのには、複数の意味がこめられている。ひとつは、交通機関らしくスピードの象徴として。また、戦後の日本の行く末を示す、平和の象徴という意味合いだった。これらは容易に想像がつくが、意外なのが鳩の「帰巣本能」。観光地をぐるりとめぐって戻ってくる定期観光バスと、鳩のイメージがピッタリ、ということだったらしい。

 なお、現在のマークは鳩を使わずロゴだけの三代目なのだが、これまでの変更にはちょっとした逸話がある。

 昭和25(1950)年3月、「はとバス」の愛称が公式に採用されるのにともない、現在の鳩マークが採用された。その理由がなんとも愉快で、「初代が鳩らしく見えないから」。かくして、東京藝術大学・高田正二郎教授のデザインによる、さっそうと空をとぶ、二代目のロゴマークが使用されることになったのだ。

季節限定コースこそ、さらなる飛躍の起爆剤

東京新名物、納涼夜の観光バスの宣伝チラシ(昭和26<1951>年)

 午前、午後の半日コースでスタートした定期観光コースは、順調に乗客数を伸ばし、早くも3ヶ月後の7月には東京駅発、新宿駅発の半日コース便が、上野同様1日2便スタート。「東京観光といえば、はとバスの日帰りバスで」というイメージが、全国に流布され、多くの人を集めたようだ。

 昭和26(1951)年7月には、夏季限定の「納涼コース」が登場。当時、日本初のサウナとして話題を集めていた、銀座6丁目の東京温泉で汗を流し、向島の銘菓・言問団子を味わい、隅田川べりのアサヒビール本社で乾杯。たちまち人気となり、毎年夏の恒例コースとなった。

 季節限定の第2弾は「初詣コース」。皇居前-靖國神社-明治神宮-浅草観音を巡る1月限定コースで、昭和29(1954)年以来、人気の恒例コースとなっている。

大人気のナイトツアー、当時の行き先は……

銀座のネオン(昭和20年代)

 今も人気の夜の定期観光コースだが、その登場は昭和26(1951)年4月と、意外に思えるほど早い。18時に新橋駅を出発したバスは、銀座のネオンの中を走り抜け、東銀座の歌舞伎座で途中下車。その後、フロリダダンスホールにも立ち寄った。

 昭和29(1954)年には、戦後の東京に現れた最新のカルチャースポットである東京温泉や、日劇ミュージックホールにも立ち寄るコースが登場。

 東京温泉は、終戦直後から進駐軍相手のキャバレーやナイトクラブで名を馳せた実業家・許斐氏利氏が、昭和26(1951)年にオープン。日本に初めて導入されたサウナなどの入浴施設のほかに、キャバレーや酒場などを併設。銭湯の大人料金が10~12円だった時代に、100円を取っていたというから、「高級スパ施設」といったほうが当時のイメージとしては近いはずだ。

昭和26(1951)年頃のダンスホール「フロリダ」のイメージ

 日劇ミュージックホールは昭和27(1952)年、現在の有楽町マリオンの場所にあった日本劇場の5階にオープン。女性ダンサーによる「レヴュー」で一世を風靡していた。幕間のコント出演者にはトニー谷や柳家小ゑん(後の立川談志)が出演、その脚本を三島由紀夫が書いたこともある。

 振り返ってみるとはとバスが、当時から単なる有名観光地巡りにとどまらない、先見性をもっていたことがよくわかる。

 大空襲で焼け野原となった東京。戦後の経済発展とともに、次々と新名所や娯楽施設が誕生するなか、それらを積極的に日帰りバスのコースへと取り込み、旅行客のニーズに応え発展していく、はとバス。鳩に込めた願いどおり一気に飛躍を遂げたのが、昭和20年代後半、黎明期のはとバスだったといえるだろう。

<「はとバス昭和物語」第2回(昭和30年代~)につづく>
文:今田 壮
編集協力:株式会社P.M.A.トライアングル
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