旅のご予約|栃木県
2020.12.9
平成の大修理を終えた日光東照宮で匠の技を満喫する旅
Go Toトラベルでも人気の旅行先・日光東照宮は、1999年(平成11年)に世界文化遺産として登録された「日光の社寺」の1つ。奈良時代から信仰の地として多くの参拝客が訪れる日光山内の103の建造物群(国宝9棟、重要文化財94棟)と、文化的景観や自然も世界文化遺産として含まれます。2017年(平成29年)3月に大修理を終えて煌びやかで色鮮やかに生まれ変わった国宝「陽明門」をはじめとする日光東照宮の建造物を、平成最後の年に訪れてみました。
< 目次 >
江戸の建築・彫刻を現代の技法で鮮やかに修復
江戸幕府を開いた徳川家康を祀る霊廟でもある、栃木県日光市の日光東照宮。日光山内(日光東照宮、二荒山神社、日光山輪王寺)のひとつでもあり、三代将軍・家光が「寛永の大造替」を行ない、1636年(寛永13年)に現在の姿を建造したとされます。
1650年(慶安3年)、若狭の国(現在の福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された五重塔。1層から4層までは和様、最上部の5層は唐様の造り。1815年(文化12年)に火災に遭ったものの、その後1818年(文政元年)に同藩主・酒井忠進公によって再建され、今日に至ります。
名工の彫刻が刻む、日光東照宮境内の作品群
「寛永の大造替」の際に工事に参加した人々は400万人以上、そのうち彫刻大工は39万人と記録が残っています。日本中から集まった名工の彫刻作品は5173本。花鳥風月、人物、霊獣・動物、地紋の4つに分類され、いずれも意味やルールにのっとって配置されています。例えば「人物は陽明門と唐門に限る」といった具合です。
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)。古来「猿が馬を守る」とされ、長押(なげし)上には猿の彫刻が八面、人間の一生が風刺されています。なかでも有名なのが「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻。「子どもは悪いことを見たり、云ったり、聞いたりしないで、素直に育ちなさい」との意味があります。
名工の仕事に色彩が新たな息吹を吹き込む
日光東照宮の陽明門は日本を代表する美しい門の一つ。宮中(京都御所)のうち「東の正門の名をいただいた」という伝承があり、1日中眺めていても飽きずに時間を過ごせることから“日暮の門”とも称されます。中国の故事逸話や子供の遊び風景、聖人賢人など500以上の彫刻が施されています。
廻廊は陽明門の左右に延びる建物で、外壁には国内最大級の花鳥風月を表す彫刻が飾られています。
中でも目を惹くのが優雅なオスの孔雀を象った彫刻。羽根のひとつひとつまで繊細彫刻された、いずれも一枚板の透かし彫り。平成の大修理で極彩色が鮮やかに蘇り、観る者を楽しませてくれます。
陽明門で注目して欲しいポイントが、門を支える右の四支柱。手前の左柱は“魔除の逆柱”と呼ばれ、とても意味があるものです。中国は堆朱のデザインなどによく見られる曲線のグリ紋が施されているもので、この柱だけ逆さになっているのが特徴。「満つれば欠ける」のことわざにより、不完全な柱を加えて魔除けにしたとされています。
東回廊の奥社の参道入口にいるのが有名な「眠り猫」。江戸時代に活躍した伝説の名工・左甚五郎が作者と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、まどろみうたたねをしているようなところから、「日光」に因んで彫られたともいわれています。
徳川家康が眠る拝殿・鋳抜門・御宝塔
日光東照宮の拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神・徳川家康公の墓所へは、眠り猫の先を抜けて坂下門から石段を登らなければなりません。石段は約200段あり、遠足で訪れた小学校の高学年の生徒たちでも途中で息切れし、休み休みになるほど。拝殿を抜ければブロンズ像の狛犬が守護する鋳抜門が迎えてくれます。
家康公は1616年(元和2年)に駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終え、久能山に埋葬されました。御遺言により1年後にこの地へ移され、御祭神とされたのです。日本の歴史上、約300年に渡って続いた徳川の世を築き上げた大樹公のことを想い、黙祷して下山しました。 後の世にも語り継がれるであろう「平成の大修理」を経て、よりいっそう魅力を増した日光東照宮をぜひ観光で訪れてみてください。
取材・撮影・文:井田 久恵 取材時期:2018年11月
※2020年12月8日:「平成の大修理を終えた日光東照宮で匠の技を満喫する旅」を更新しました。