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2020.4.14

はとバス昭和物語 最終回 昭和から平成へと受け継がれる「はとバス・イズム」

はとバス昭和物語 最終回 昭和から平成へと受け継がれる「はとバス・イズム」
バブル好景気の終焉とともに日本経済は停滞、はとバスも戦後何度目かとなる苦境の時を迎えることになった。しかし、はとバスでは一層の企業努力を続け、見事な復活を果たす。今回は、そんな平成の不況脱出までの流れを皮切りに、長い人気を誇るはとバスのロングセラーコースの変遷と、時代に応じて次々に生み出されていったユニークなコースの数々をまずは取り上げる。さらに、平成32(2020)年の東京オリンピックを控え、今まさに一層の盛り上がりを見せる外国人向けコースの歴史も紹介することにしよう。(写真:アジアを中心に、世界各国からの観光客にも知名度抜群のはとバス。多くの言語と外国人ならではのニーズに対応したコースを運行中だ)

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平成不況に様々な取り組みで対応

空前のディスコブームで開始した「夢舞台・ジュリアナ東京と舞浜リゾート」コースでは、乗客にジュリ扇をプレゼントした

 平成3(1991)年にバブル好景気は終焉。いわゆる「平成不況」下で、はとバスは平成9(1997)年3月に公式のホームページを開設、翌1月からはウェブ予約の受付を開始した。8月からは初となる乗り降り自由型の循環バス「ぐるり東京号」を、翌年には創立50周年謝恩企画コースを運行、長野五輪への特別大量輸送も行っている。

 そんな不況への対策会議の席上で「お茶の味が落ちたというお客様の言葉にガイドが肩身の狭い思いをしている」との発言が出た。経費削減のため、茶葉の質を落としたことへの乗客からのダイレクトな反応だった。

「これまでは経費がかさむことでも、お客様の満足に繋がるなら喜んでやってきた」「『本当に喜んでもらえるサービスとは何か』という原点に立ち戻るべき」といった声が次々上がるなか、第11代・宮端社長は茶葉のランクアップを即断する。これは、自社の復活に向け、はとバス全社員が一丸となって新たな一歩を踏み出す大きなきっかけとなる出来事であった。

「お客様第一主義」を合言葉に業績を回復

毎月1回の「はがきチェック会議」には社長をはじめ、各部署の責任者が参加。乗客からのはがきを1枚1枚検討し、対策を話し合う

 景気動向に関わらず、乗客が真に求めるものを追求し、応え続けてきたはとバス。平成12(2000)年には、乗客や社員の意見が集まりやすい仕組み作りのため「お客様サービス推進部」を新設。また、社長からパートを含む全社員に「サービス研修」への参加を義務付け、経理や運行管理などの間接部門も年10日ほどの添乗業務を行うこととした。

 そんな中で新しく生まれた習慣がある。運行の前後に、ガイドだけでなく運転士までが乗客に挨拶をするようになったのだ。すると「運転士さんから挨拶をされるとは思いませんでした。1日安心して旅ができました」といった利用者からの手紙が会社へ届くようになった。

 そういった地道な取り組みを全社で続けた結果、徐々に客足は回復していく。平成13(2001)年の決算では、マイナスから一気に黒字転換し、はとバスは復活を遂げたのだった。

創業当初から続く定番の人気コース

はとバス定期観光コースの第1号である「都内半日Aコース」。立ち寄り先の浅草・仲見世で撮影された1枚

 はとバスの記念すべき定期観光コース第1号は、昭和24(1949)年3月19日午前9時に出発した「都内半日Aコース」であった。それからおよそ70年を経た現在も「東京半日(A)」として運行中で、「食事なしでツアーの自由度が高い」と年間4万人もの乗客を集めている。 

 当初は、上野を出発地に上野公園、皇居前、赤坂離宮(現・迎賓館)、浅草寺の4ヶ所で下車。所要時間は3時間半で、午前9時と午後1時の2便があった。現在は、皇居、浅草、東京タワーの3ヶ所を巡って所要は4時間半。東京駅と新宿駅からそれぞれ午前10時、11時、午後1時の3便が催行されている。開始当時は上野駅が東北方面からの列車の終発着駅であったこともあり、はとバスも上野発とされていたのだ。

 立ち寄り場所はいずれも「東京観光」の定番スポットながら、はとバス史上最長の超ロングセラーコースとして愛されている。

2016年度・1番人気コースの今と昔

レインボーブリッジを行く「オー・ソラ・ミオ」。抜群の開放感とともに、他ではお目にかかれない大迫力の東京の風景を楽しめる

 一方、昨年2016年度に全コース中最多となる、年間10万1,048人を集客したのが「TOKYOパノラマドライブ」だ。

 今から30余年前の昭和58(1983)年1月、導入されたばかりのドイツ製2階建てバスを使用してスタート。当初は、皇居坂下門を出発し、靖国通り─内堀通り─首都高速4号線─新宿副都心─新宿通り─迎賓館前─赤坂見附─日比谷─銀座通り─京橋を車内から眺望する所要2時間15分のコースだった。

 コースがより一層の人気を集めるようになったのは、平成21(2009)年秋に“屋根なし”の2階建てオープンバス「オー・ソラ・ミオ」が登場してからだ。360度視界を遮るものがなく、空を見上げれば超高層ビル群がまるで頭上が降り注いでくるかのような迫力で、オープンバスならではの疾走感も格別。また所要1時間、1日16便と利便性が高く、東京タワー、レインボーブリッジ、お台場、築地、歌舞伎座など東京のランドマークを手軽に回れるところも魅力だ。

 「東京半日(A)」と「TOKYOパノラマドライブ」。長期に渡る人気コースの影に、いつの時代も「お客様第一主義」を貫いてきた、はとバスの企業努力を忘れることはできない。

流行を超先取り「ボウリング・ゴルフBGコース」

「ボウリング・ゴルフBGコース」のゴルフ練習場では、慣れない乗客を前にガイドが率先してクラブを握って練習へと導いた

 欧米の生活文化を貪欲に取り入れるようになった戦後は、それまでなじみのなかった遊びが急速に国民の間に普及し、娯楽の幅が急速に広がっていった。例えば、戦後の経済成長とともに大ブームを巻き起こしたスポーツの代表がボウリングとゴルフだった。

 はとバスでは、昭和35(1960)年10月に「ボウリング・ゴルフBGコース」を新設。観光、夕食、喫茶、コーチの指導付き、ボウリング場とゴルフ練習場の入場料と用具レンタルも含む内容だった。

 ちなみに、両スポーツが本格的ブームとなったのは昭和45(1970)年前後のこと。昭和35年時点ではボウリング場の数も限られ、コースに組み込まれた神宮外苑の東京ボウリングセンターの料金は、大卒の事務系・初任給が平均約1万4,000円(日本経営者団体連盟<現・日本経済団体連合会>調べ)だった時代に入会金が3万円と倍以上の高額。庶民にとってはゴルフとともに高嶺の花だった。

 ブームを大きく先取りしてのコース企画は、当時の若手社員の発案を上層部の英断で実現したもの。最先端の2大スポーツをわずか500円で楽しめると、結果的には大好評を博することになった。

「自分を高めたい」そんな気持ちに応えるコース

「ブライダルコース」に含まれた着付けと和服のマナー教室は、当時、多くの日本人女性に喜ばれた

 高度経済成長がピークを迎えた1960年代末、経済的に余裕が出てきた日本人女性の関心は自分磨きへと向くようになった。

 昭和44(1969)年2月に登場した「ブライダルコース」は装道きもの学院(現・新装きもの学院)で着付けとマナーを、ホテルニューオータニのフルコース料理でテーブルマナーを、そして麻布の「日本ロイヤル・ダイヤモンドサロン(現在は閉店)」で宝石セミナーを受講するもの。花嫁向けだったがそれ以外の女性にも大好評を得たため、同年6~7月には内容はほぼそのまま、「レディース・マナー ブライダルコース」とタイトルを改めて運行した。

 また、翌45(1970)年2月からは、女性だけでなく男性も対象にした「東京ハイセンスコース」を新設。新宿の高野ビルにあった「タカノワールドスナック(現在は閉店)」で、当時珍しかったケンタッキーフライドチキンなどのアメリカ料理を始め、インド、ドイツ、デンマーク、イタリアなど世界各国の料理を味わったあと、「言論科学研究所(現在は閉所)」で話し方セミナー、「山野愛子美容アカデミー」でどろんこ美顔術やメイクアップ実習などを体験でき、男女ともに乗客たちは大いに楽しんだようだ。

夜の東京も、はとバスにおまかせ

盛況の「ニューハーフショー」では、プロフェッショナルなパフォーマンスの数々が感動を呼んでいる

 昼間とはガラリと違った表情を見せる、夜の東京。その多彩な姿を紹介するコースも好評を博してきた。戦後、早くも昭和26(1951)年4月に、はとバス初の「夜の定期観光コース」の運行を始めている。以後、ダンスホールや日劇ミュージックホール(現在は閉館)、キャバレー、ヌードショー、おいらんショーなどを組み込んだコースを催行。個人で足を運ぶには敷居が高いショーでも、はとバスに乗れば気軽に楽しめると、“夜のはとバス”が定着していく。

 そして、平成3(1991)年には、早くもニューハーフショーを組み込んだコースが登場した。今ではテレビなどでもおなじみであるが、当時はブームの兆しが見え始めたばかり。市民権を得ているとは言い難い状況で、社内でも賛否両論が噴出した。しかし、日劇やキャバレーなど大箱の施設の減少で、新たな下車箇所の開拓が急務だったこともあり、担当者が社内を説得して実現した。

 新宿歌舞伎町の「黒鳥の湖」「アルカザール(現在は閉店)」、六本木の「金魚」「香和(かぐわ)」といったショーパブを組み込んだ夜のコースが次々と誕生して目玉となり、その人気は今も衰えていない。

OGガイドが活躍するノスタルジーコース

「懐かしの昭和浪漫紀行」でガイドを務めるOGの荒川しげ子さん。彼女が昭和歌謡を唄うと、車内は懐かしの昭和にタイムスリップ

 東京の新しい名所を常にフォローし続けるはとバスであるが、定番名所を様々な趣向で紹介するコースの設定にも余念がない。

 「懐かしの昭和浪漫紀行」は、東京観光案内の老舗である、はとバスでなければ実現不可能な企画だ。コース設定の発端は、平成17(2005)年公開の大ヒット映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などによる昭和ブームを背景に、はとバス創業60周年記念コースとして始まった「昭和浪漫コース」。

 昭和期にガイドとして活躍し引退した、はとバスOGガイドが往時の思い出を交えながら案内するというもので、地方から上京をした年配者を中心に人気が高まり、やがて定番コースの仲間入りを果たした。

 人生経験豊かな昭和の名ガイドが、なつかしの昭和の名曲を交えながら、ゆったりと東京定番名所を案内。皇太子殿下(現・天皇陛下)ご成婚時の東京の様子や東京オリンピック当時の思い出などを語り、昭和の光景が目に浮かぶような名調子に郷愁を覚える年配者が続出。ガイドの歌に誘われて、車内が乗客の合唱の声で満たされることも珍しくない。

バス観光をメインとしないコースも登場

1泊または2泊の富士登山コースで、山頂からご来光を拝む感動の瞬間。30~50代が多く参加し、下山後には温泉での入浴も

 ガイドの案内によるバス観光がはとバスの本流であるが、近年はそれを中心としないコースまで登場した。

 NHKの『ブラタモリ』をはじめとする街歩きのテレビ番組が人気であることから、平成23(2011)年に生まれたのが「築地味めぐりと日本橋老舗&歴史探訪」。

 築地場外市場、日本橋・神田川クルーズ、日本橋老舗&歴史探訪と表も裏も知り尽くした案内人が、とっておきのトピックスを披露しながら案内。ガイドブック片手に街歩きするだけではわからない、興味深い話が聞けると好評だ。

 また昨今、中高年層だけでなく、若い女性にも人気の高まっている登山。なかでも富士山は不動の人気を誇っている。はとバスではいち早く平成13(2001)年から富士登山コースを導入し、現在は1泊2日の「一生に一度は富士登山!!」を催行。五合目まではバスで向かい、そこから登山に出発。八合目の山小屋での仮眠ののち、山頂でご来光を拝むというもの。富士山専属登山ガイドと係員の2名体制で安全を期し、シューズ、ザック、レインスーツなどのレンタルウェアまで用意された、初心者にも嬉しい内容となっている。

今なお進化を続ける、外国人向けコースの始まり

昭和28(1953)年6月登場の「昼の外人Tコース」の乗客たち。平日は観光客のカップルが多く、土日は米兵の乗客が大半だった

 日本の顔である首都・東京。その多彩な顔を、広く訪日観光客に紹介してきたことも、はとバスの大きな功績のひとつだ。

 昭和27(1952)年、日本がサンフランシスコ平和条約の発効により独立を回復したこの年、訪日外国客は年間7万2,100人(はとバス資料による)とまだわずかだったが、はとバスは「昼の外人Sコース」を試験的に運行した。皇居、(聖徳記念)絵画館前、浅草寺をまわる3時間半のコースだったが、利用客が伸びず翌年廃止に。

 ところが、翌昭和28(1953)年6月、「昼の外人Sコース」に六義園をプラスした「昼の外人Tコース」の運行を開始したところ一転、好評で、その後も継続運行された。文京区本駒込にある六義園は、小石川後楽園に並ぶ江戸の名庭園。日本文化の粋が込められた庭園は、まさに日本でしか体験できない、外国人には魅力あるコンテンツだった。

 当時は英語を話せるガイドの確保も大きな課題だった。基本は英語ガイドが知り合いを紹介し、またその知り合いを紹介するといった形で採用。日本人向けと異なり、男性ガイドも多かったという。

日本人とは様々に異なっていた外国人客

かつての外国人向けコースでのひとコマ。「フジヤマ、ゲイシャ」の時代からの日本のイメージも、はとバスなら気軽に味わえた

 外国人向けコース開始直後の昭和30(1955)年頃、その乗客はアメリカ人が8割以上、残り2割弱が中国人、イギリス人の順だった。

 外国人客は日本人より社交的というのが乗務についたガイドたちの印象で、運行中には「女性の着物の帯の後ろにある膨み部分の使い道」や浅草寺の線香、パチンコ店の店前の花輪についてなど、母国では目にしない珍しい風習についての質問が矢継ぎ早に飛んだという。

 また、夜の東京を楽しむ「外人夜Nコース」で最大の見所となった高級料亭「三田(現在は閉店)」での日本舞踊鑑賞の際は、座敷への上がり方や箸の持ち方について事前レクチャーが必須だった。

 そして当時のガイドが一様に驚いたことが、降車後の車内の清潔さ。外国人客は車中で全く何も食べないため、掃除の際に出るゴミは吸殻くらいのものだったという。

 国際化が進んだ今でも母国での当たり前が他の地域にも当てはまるとは限らない。現在、はとバスでは外国人客に「集合時間厳守」を始めとするマナー喚起の文書を配布し、出身地を問わず誰もが快適に楽しめるコースの運営に努めている。

“モノ”から“コト”へ。コース内容も多彩に

現在人気の忍者体験を組み込んだコース。大迫力の忍者ショーのほか、足湯や食事なども含まれている

 昭和30年代はまた、世界各国で第二次世界大戦の傷がいえ、経済の好転などにより、国際的な観光ブームが起こった時期である。

 昭和37(1962)年に入国外国人数は20万人を突破(法務省「出入国管理統計」による)、昭和39(1964)年の東京オリンピックも視野に入ってきた。これを機に、はとバスでは、外国人向けコースを細分・再編。

 午前コース、午後コース、1日コース、夜コースを設定する。おいらんショーや生け花鑑賞、すきやきパーティーなどの趣向が加えられるとともに、よりテーマを絞ったコースも登場。「外人向け相撲コース」(昭和35〈1960〉年5月)、「外人向け蛍狩りコース」(同年6月)、日替わりで日本の工芸・美術の現場を紹介する「アート・アラウンド・タウンコース」(昭和39〈1964〉年1月)など、日本だからこそできる体験が好評を得た。

 現在も「着物の着付け」や「忍者体験」を組み込んだコースは大人気だ。日本人同様に訪日外国人観光客にも「モノ」より「コト」を求める傾向が高まっており、「日本文化」「クールジャパン」を体験できることが喜ばれている。

2020年の東京五輪へ向け、未来を切り開く

英語ガイドの案内で東京観光を満喫する外国人客。ガイドが案内に使う旗棒の先には世界的人気キャラクターのピカチュウが!

 昭和50年代後半になると欧米以外に東南アジア諸国からの観光客が増加。21世紀に入ると特に中国人観光客が存在感を増し、はとバスでは中国語ガイドによる定期観光コースを開始した。

 同時にガイドに使用する言語の多様化も進め、最新のイヤホンガイドシステム「TOMODACHI(トモダチ)」では、英、中国、韓国、スペイン、タイ、フランス、インドネシア、ベトナムの8ヶ国語でガイドが可能になっている。このシステムはGPSと連動し、渋滞などによる遅延や突然のコース変更にも即時に対応できる優れものだ。

 日本を訪れる外国人はここ数年で倍以上に急増。2016年度には約2,400万人(日本政府観光局調べ)が日本を訪れており、その勢いは留まることを知らない。オリンピックまで3年を切った今、東京・首都圏観光を牽引するはとバスは、その豊富な観光コンテンツを次はどのような形で世界の人々に提供していくのだろうか。ますます目が離せない。
文:今田 壮
編集協力:株式会社P.M.A.トライアングル
【ご注意】
※本文中に記載の固有名詞、ツアー名称や言い回し表現は当時のものを使っています。現代では自粛すべき表現や一般的ではない言い回しなども含まれております。あらかじめご了承ください。
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