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2020.4.16

はとバス昭和物語 番外編 時代変遷を映す観光バス車両の進化

はとバス昭和物語 番外編 時代変遷を映す観光バス車両の進化
わずかバス10台で、焦土と化した東京で開業したはとバス(当時は新日本観光)。今では137台(平成29<2017>年6月現在)のバスを保有するまでになった。観光バスに必須な要素といえば、快適性と楽しさ。はとバスでは、時代ごとの乗客のニーズを的確に捉え、時代の一歩先を行く車両を次々と導入してきた。それは、道路運送車両の保安基準という枠の中での、いかに創意工夫を凝らすかという試行錯誤の繰り返しだった。今回は、はとバスが導入してきた車両の変遷を昭和から平成へとたどりながら、歴代の名車にまつわる時代を映したエピソードもご紹介していこう。(写真:皇居前広場に並ぶ草創期のガソリン車。右から「はるな号」「筑波号」「多摩号」。昭和20年代に撮影された貴重な1枚)

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ないない尽くしの戦後、バス調達も困難を極める

新日本観光が経営していた旅館『勝仙閣』の前に停まる、創業時のバス。性能が悪く、故障も頻発した

 焦土と化した東京で、観光バス事業を再興する──そんな明確な目的のもと、はとバスの前身である新日本観光が設立されたのは昭和23(1948)年8月のことである。大いなる理想を掲げての船出ではあったが、戦後の極度の物資不足の中、車両不足、燃料不足、そして運転士不足と、まさに“ないない尽くし”でのスタートだった。

 ちなみに、昭和20(1945)年の全国のバス事業の実態を、戦前の昭和11(1936)年と比べると、実在車数は2万8,745両から1万1,109両へと減少、実働車数では落差がさらに大きく2万3,433両から、わずか4,629両へと落ち込んでいる(総務省統計局「車種別保有自動車数(昭和11年度~平成16年度)」より)。

 昭和23(1948)年5月の時点においても、ガソリン車3,240両に対して、木炭車5,051両、薪車1,839両と、代用燃料で走る車両の比重の方が高い有り様だった。とはいえ、バスを確保しなければバス事業は始められない。関係者の奮闘の結果、新車・中古車をかき集め、わずか10台であるが、戦後の観光事業の大海原に乗り出すことになったのだ。

はとマークが排気ガスで真っ黒なカラスマークに

昭和24(1949)年に導入した車体。初期は天然ガスを使用し、後にディーゼル車に変更された

 明けて昭和24(1949)年1月1日、記念すべき団体貸切第1号車である成田山初詣のバスが都内から出発した。当時、東京でGHQ関係以外の観光バスを見かけることは皆無で、成田山の駐車場でも観光バスは、はとバスのみだったという。まさに、戦後観光バス事業の先駆けとなったのだ。

 とはいえ、内情はまさに綱渡りだった。引き受けが遅れていた車両が加わり、実働車両は11両となったが、全車両を稼働させるには運転士が不足し、やむなくタクシー会社から運転手を臨時に派遣してもらいことなきを得る状態だった。

 また、燃料の確保も困難を極め、ガソリン車を天然ガスで走れるように改造。ところが、天然ガス車に慣れていない臨時運転士が途中で燃料を使い果たし、バスが立ち往生したこともあった。当時、優秀な運転士とは、粗悪な燃料でバスをより長く走らせる技術を持っていることが必須だったのである。

 昭和24(1949)年6月には、運転士は19名に、車両は22台へと増え、ようやく観光バス会社としての体裁が整い始める。だが、相変わらず質の悪い燃料で走るバスは馬力が足りず、靖國神社横の九段坂ですら、排気ガスをもくもくと吐きながら登るのがやっとだったという。登ったあとは、車体のはとマークが真っ黒なカラスになった……そんな苦笑を誘うエピソードも残っている。

昭和20年代の車両は、山や川の名前が愛称に

昭和24(1949)年3月19日、初の定期観光コース「都内半日コース」の記念すべき第1号車「富士号」

「右に見えるは明治神宮でございます」。
 昭和24(1949)年3月19日、はとバスの悲願であった都内定期観光バスがついに復活した。都内半日Aコースで、栄えある第1号車となったのは、ふそうガソリン車「ふそう/帝国自動車工業/B1型」1948年式35人乗り。「富士号」と命名された1台だった。

 昭和20年代、はとバスでは車両それぞれに名前をつけていた。草創期のガソリン車は、「富士号」のほか「筑波号」「はこね号」「はるな号」「天城号」と関東圏を代表する名山から、その名をとっている。ちなみに、いずれもガソリン車であったが、燃料事情から天然ガス車仕様に変更されている。

 続く、昭和24(1949)年に導入された「いすゞ/日本自動車/BX81型」5台には「多摩号」「隅田号」「天龍号」「木曽号」「利根号」と、河川の名前がつけられた。この5台にはラジオとマイクが初めて装備され、観光バスとしてのベースが整備される。ちなみに、それまではガイドは声を張り上げての案内で、一巡するたびに声を枯らしていたという。

 翌昭和25(1950)年には、社内が明るく上方の視界も良好な天窓つきのバスを導入。これがはとバス車両のスタンダードとなっていく。この時代はエンジンが車両前方に配置された、いわゆるボンネットバスであったが、昭和28(1953)年ころからは、早くも箱型の車両を導入。外国人観光客の受け入れてとともに、戦後第1次の観光ブームへの対応を着々と進めていった。

整備士が臨時運転士に? 創業当初の秘話も

開業時、東京・中野に設けられた整備工場。始業前に準備体操をする整備士たち

 昭和23(1948)年の会社設立から、矢継ぎ早に車両を補充し、定期観光コースを開設し続けたはとバス。草創期ならではの苦難の数々を乗り越えてきたが、安全な運行を陰で支える整備の現場とてそれは同じだった。

 開業当時、はとバスの車庫は東京・中野区に設けられた。自動車会社の修理工場跡地を借り受けたもので、その空き地の一角にバラックを建てて整備工場とした。最初に採用された3名の整備士の初仕事は、燃料配給が受けられず走れないガソリンエンジンのバスを、プロパンガスや松根油(松からとれる油)などの代用燃料で走れるよう改造することだった。

 タイヤも貴重品で、表面の溝がすり減ってなくなり、中の繊維がむき出しになるまで使用。そのためパンクがつきものだったが、スペアタイヤを積んでおく余裕もない。運転士からパンクの一報が入ると、車で現地まで駆けつけ、その場でパンク修理を行ったという。

 また、整備士が突然、運転士に駆り出されたこともある。昭和25(1950)年頃のこと。十数名の予約客がやって来たが、本社と営業所との連絡不備で車庫は空っぽ。バスは出払い、運転士もガイドも不在。とはいえ、予約客を放っておくことはできない。

 そこで、1人の整備士が臨時運転士に駆り出され、修理中のバスを工場から引っ張り出して乗務することに。ガイドは庶務の女性が務めた。さらにオーバーヒートに備え、営業課長は水いっぱいのバケツを両手に乗り込んだ。あまりの不手際に、最初は激怒していた予約客たちだったが、3人の奮闘に感動し、最後は拍手での別れとなったという。

バスが輸送機関として大きな座を占めた昭和30年代

外国人観光客用に導入された車両。はとバスとしては珍しい青のバスもあった

 創業当初、10台のバスで営業を開始したはとバスは、昭和31(1956)年6月の時点で、定期観光用バス53両、貸切用バス16両、宣伝車両1両、計70両の陣容にまで成長した。「もはや戦後ではない」という経済白書の言葉を幕開けの合図とするように、高度成長期に入った昭和30年代の日本。好景気と軌を一にするようにやってきた観光ブームにおいて、定期・貸切を問わず、輸送機関としてのバスが大きな役割を果たす。

 昭和30(1955)年当時、バスと乗用車を合わせた全国輸送人員の中で両者が占める割合は、バス83%、乗用車17%と、バスの利用者が圧倒的多数を占めていたのだ(運輸省(現在の国土交通省)「陸運統計要覧」より)。

 こうした世の動きに呼応し、はとバスでも案内所や営業所の増設、定期観光バスの新設による新規顧客の開拓、外国人向けのコースを設置するなど、顧客サービス体制の強化に余念がなかった。車両開発においても、顧客ニーズを取り込もうと様々なアイデアを実現化していく。

豪華バス「走るパーラー」「動く談話室」

“走るパーラー”と呼ばれた昭和33(1958)年導入のデラックスバス。冷房完備の贅を尽くしたサロンカー

 昭和30年代のはとバスの車両開発でまず目を引くのが、この時期すでに外国人専用車両を用意していたことだ。しかも、同じ車両を貸切用では12列、定期コース用は10列として使用するなど、きめ細やかな対応がなされている。車両の外装も個性的で、昭和31(1956)年、32(1957)年には、先に紹介した青い塗装を施した車両も登場している。

 昭和33(1958)年12月、東京観光の新しい目玉ともいうべき東京タワーが完成。日本国民の東京観光熱はうなぎのぼりとなる。この年登場して、大いに話題となったのが、デラックスバス「いすゞ/川崎航空機/BX341PA」だ。日本初のエアーサスペンション装備の55人乗りバスを、24人乗りのサロンカーに改造。冷房車としても第1号で、180度回転式の1人かけソファー、前後転換式の2人かけソファーが配置され、クッキングセットを装備。「走るパーラー」「動く談話室」といわれ、文字通りのデラックス・サロンカーだった。

 とはいえ、まだまだ技術面において試行錯誤が続いていた時代。車体によっては冷房にムラがあるものも多く、時代を先取りした試作品が性能を高めるには年月が必要であった。

人気車両「月光仮面」「金魚鉢」

独特のフロントマスクから“月光仮面”の愛称がついた、スーパーデラックスバスAタイプ

 豪華バスの配置はその後も続き、昭和37(1962)年にはエアーサスペンションと冷房を装備し、10列のリクライニング式シートを備えた長距離用の貸切デラックスバスを導入した。そして、東京オリンピックを翌年に控えた昭和38(1963)年、定期観光用にスーパーデラックスバス40人乗り4両を導入。いずれも運転台を低くして客席から前方の眺望がよくなるように工夫した車両だ。

 Aタイプ「三菱ふそう/京成自動車工業/AR470S改型」はバス前面のマスクが特徴的で「月光仮面」、Bタイプ「三菱ふそう/ヤナセ/AR470S改型」はひときわ目立つ大きな窓ガラスから「金魚鉢」の愛称で親しまれた。これらは、当時最先端のバスとして話題をさらい、はとバスのイメージアップに大いに貢献した。

 ちなみに、両車両とも英仏独スペイン4カ国語のコース案内を録音した4トラックテープレコーダーを搭載。外国人観光客への対応も抜かりなかった。また、同年には昭和33(1958)年に導入したデラックス・サロンカーの車体上部を切断し、オープンバスに改良。開放感あふれるバスは道行く人の目も大いに引き、東京にはとバスありと、その存在を知らしめた。

ひと目見たら忘れられない。語り継がれる名車登場

昭和46(1971)年・48(1973)年・49(1974)年導入。スーパーバス(スーパーパノラマカー)。初のレモンイエロー塗装車

 昭和39(1964)年の東京オリンピック、昭和45(1970)年の大阪万博と、立て続けのビッグイベントで、世界に向けて驚異的な戦後復興を印象づけた日本。昭和40年代になると、国民のライフスタイルにも大きな変化が現れ、レジャーについても多様化が顕著となった。

 こうした時代の指向性のなか、はとバスでは保有バスの強化・充実に余念がなかった。昭和40年代中盤からは、冷房・リクライニングシートを装備した豪華車両が次々と導入され、「デラックスバス」の名称が定着していく。

 そして、昭和46(1971)年には、今もはとバス愛好家から語り継がれる稀代の名車が登場する。265馬力、V8エンジン搭載のスーパーバス(スーパーパノラマカー)「三菱ふそう/東京特殊車体/B915N型」だ。

 車内に冷風を送り込む冷却装置2基を屋根に搭載することで、客席の圧迫感を解決。さらに網棚を廃し、大きな窓ともに抜群の開放感を演出した。ほかにも前述の「金魚鉢」に続き、手動式の一枚扉を採用。これらにより車内に圧倒的な開放感を実現し、眺望のよさは最新バスにひけをとらないものとなった。

 また、外観にはレモンイエローの塗装を初めて採用し、屋根に搭載したクーラーダクトをロケット埋め込み式にしたため、独特な個性を発揮。この形状が当時流行っていた「ヒーロー・戦隊もの」を彷彿させる、と子どもたちからも評判が高く、ひと目見たら忘れられないバスとして、多くの人の記憶に残る名車と、登場から40年以上が経過した現在も絶大な支持を得ている。

次々と豪華車両が導入された昭和50年代

昭和56(1981)年導入、貸切用ニューパノラマ車。180度回転、58度傾斜リクライニングシートのハイグレードバスのパース画

 昭和50年代に入ると、車両のデラックス化はさらに加速した。これは、車両そのものがバス事業において重要な商品であることはいうまでもなく、外観のイメージアップ、車内からの眺望の向上、そして居住性への配慮が欠かせないからである。

 これらのニーズを満たすべく、昭和52(1977)年に導入されたのがニューデラックスバス「いすゞ/川崎重工/CRA650型」だ。12mのロングボディで、スペアシートを廃し、13列53人乗りでリクライニングシートを採用。

 超大型のフロントウインドウガラス、前列側窓下縁の傾斜、大型リアウインドウなど新鮮なイメージの外観に仕上げた。また、前2列の床を傾斜させて前方視界をよくしたり、乗客専用のトランクを設置したりするなど、居住性も大幅にアップしている。また、団体旅行の小規模化に対応するため、昭和52(1977)年から中型デラックスバス「日野/RL300型」も登場した。

 そして、昭和56(1981)年には、貸切用ニューパノラマ車が導入される。180度回転・58度傾斜のリクライニングシート、35席のゆったりとした設計、サロン・ラウンジ利用も可能、マルチチャンネルステレオシステムとカラオケ装置、豪華で落ち着いたインテリアなど、旅客の要望を広範にかなえた画期的車両だった。

乗客に優越感を抱かせた西ドイツ製2階建てバス

昭和57(1982)年12月、3台が納車された西ドイツ・ドレクメーラ社製の2階建てバス「メテオールE440型」

 昭和50年代も後半になると、外国車両の導入も始まる。昭和57(1982)年には、眺望がよく、大量輸送が可能な2階建てバス(ダブルデッカー)が初めて輸入された。これを機に2階建てバス運用の新コースを次々と新設する。2階建ての大きなボディ、洗練された外観、独特の異国ムードなどが相まって道行く人々の視線を集め、乗客は一種の優越感に浸れることもあり、高い人気を誇った。

 最初に西ドイツからやってきた3台の2階建てバスは、整備士にとっても大きな刺激となった。ヨーロッパのバス自体が珍しく、まして2階建てバスなど誰も触れたことのなかった時代である。ドイツからメーカー技師が来日し数日間の講習が行われたが、いざ整備にあたると分からないことだらけ。整備士たちは、ドイツ語マニュアルと辞書首っ引きで格闘した。

 またその一方で、ドイツ車の安全に対する徹底した設計思想に感銘を受けた。たとえば、ドアが完全に閉まるまでドライブシャフトが固定されて絶対に走り出すことができない。これは当時の日本車の安全水準からは考えられないものだった。

平成の新型車両がかなえる貴賓席の旅

平成26(2014)年デビューの「ピアニシモⅢ」。標準バスと比べ、約半分の24席シートの豪華仕様

 平成の世になると、すべての車両が眺望のよい中2階(スーパーハイデッカー)か2階建て(ダブルデッカー)となり、大型観光バスでは困難とされたハイブリッド車を見事成し遂げた。その後も低燃費・低環境負荷型車両を送り出すなど、常に新しい試みがなされる。

 はとバスでは安全性や快適性への試行錯誤を続け平成26(2014)年、これまでにない衝撃的な車両を公開する。「快適空間」「安全性」「上質なサービス」を提供する『貴賓席の旅』と銘打った長距離豪華ツアーに対応した、漆黒の最上級車両・ピアニシモⅢ「いすゞ/ RU1ESBN-UDG型」である。これは国内最高の安全性と最高のゆとりを両立した旅を提供するツアー専用車両として、新世代のはとバスを象徴するものとなった。

 その装備は前方の障害物をミリ波レーダーで自動感知し、衝突に備えブレーキが自動的に作動する「衝突被害軽減ブレーキ」と、車両の横転を防ぐ「車両安定制御システム」を搭載。また、すべてのシートに「多重感知式3点式シートベルト」を起用。

 車内も標準バスと比べ、約半分の24席シートの豪華仕様。通路を挟み2席と1席の横3席配列とし、シートピッチは標準より約9cm広い約95cm、座面は約50.5cmと、車内空間に「ゆとり」を確保。しかもシートは総革張り、足元にはフットレストと最高のゆとり・くつろぎ・おもてなしの旅を演出するに相応しい構造となっている。まさにピアニシモⅢは創業当時から培ってきた、69年間に及ぶ企業努力の結集といえよう。

 すべての事業において安全を最優先に考え、国際都市・東京の様々な顔を、より楽しくより快適なバスを用いて国内外の人々に紹介していく──はとバスが築き上げてきた価値“おもてなしの心”に磨きをかけながら、バスの進化はこれからも止まることはないだろう。
文:今田 壮
編集協力:株式会社P.M.A.トライアングル
【ご注意】
※本文中に記載の固有名詞や言い回し表現は当時のものを使っています。現代では自粛すべき表現や一般的ではない言い回しなども含まれております。あらかじめご了承ください。
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