はとバス昭和物語  番外編 はとバスガイドの歴代制服でたどる もうひとつの昭和史

旅読人コラム2017.03.28

はとバス昭和物語

昭和43(1968)年、設立20周年のイベント時に撮られた歴代制服でのガイドたち。デザインや色彩にその時々の流行が伺える貴重な1枚

~東京観光の顔・はとバスガイドヒストリー~

 快適なバスの旅を演出する、"はとバスの顔"といえばガイドの存在は欠かせない。はとバスでは、昭和24(1949)年の第1期生から、これまで在籍したOGも含めると3,000名以上のバスガイドを輩出してきた。今回はそんな彼女たち、はとバスガイドにスポットを当てながら、昭和という時代を振り返ってみたい。
 まずはじめにガイドを語る上でこれを抜きにしては語れない制服の変遷。ファッションは時代を映す鏡というが、ガイドの制服も流行とは無縁でないことがそこから読み取れる。次は昭和30年代に活躍し、当時の思い出の品を今日まで大切に保管してきたガイドOGが語る思い出。その話から高度経済成長期における、はとバスの企業姿勢や取り組みが読み解けるだろう。そして最後はガイドの歴史を読み解く、いくつかの重要な出来事を取り上げてみた。いずれも時代と共に成長してきたはとバスの歩みが感じられ、伝統となり今へ引き継がれていることがわかる内容ばかりである。

歴代の制服変遷(1) ~昭和20年代~ 制服がなく、私服で乗務していた戦後のガイドたち

全国観光バス案内コンクール

昭和29(1954)年開催「第4回全国バスガイドコンクール」。右から2人目が、はとバスの田中賢子ガイド。上着に肩章がついた初代はとバス制服を着用している

 昭和23(1948)年8月、産声を上げた新日本観光(現在の「はとバス」)は、昭和24(1949)年3月14日に、戦後のバスガイド1期生となる女性5名を採用した。この採用の5日後には乗務、という慌しさのため、当初の約2年間は制服がなく、ガイドは各自の私服で添乗をしていた。ちなみに、戦前に都内で定期観光バスを運行していた、はとバスの前身「東京乗合自動車」の時代には、ガイドはワンピースに飾りボタン、べルト、大きな襟でアクセントをつけた制服を着用していた。ただし、第二次世界大戦の戦局悪化とともに、国民服のような上着とスラックスに変わってしまったという。
 戦後の制服復活は昭和26(1951)年のこと。同年に開催された「第1回全国観光バス案内コンクール」の参加に合わせて制定され、この年の秋から正式に採用された。ちなみにデザインは濃紺の上着に肩章がついたもので、これが「軍服みたい」という意見がガイドや乗客から多く寄せられ、昭和29(1954)年に廃止、マイナーチェンジを果たすことになる。

歴代の制服変遷(2) ~昭和30年代~ 景気上昇とミッチーブームで、制服もモダンから清楚へ

はとバスガイド夏服

昭和31(1956)年の昼コースガイドの夏服。爽やかでモダンな白のブラウスにフレアのロングスカート

 戦後の焼け跡から驚異の復興を遂げつつあった東京。景気が上向くとともに世相も明るさを増し、それに呼応するように、はとバスガイドの制服も軽快で明るい雰囲気のものになっていく。当時はロングスカートが全盛だったが、夏服は白のブラウスにフレアのロングスカートで軽やかさを演出したり、冬服は襟元から白いブラウスをのぞかせてモダンさを醸すなど、うまく時代のトレンドを取り入れている。
 当時のバスガイドたちの写真を見れば、彼女たちが自信を持って制服を着こなしている様子がうかがえるだろう。頭にのせた制帽も、船底型になったり、ベレー帽になったりと、その時々の流行をさり気なく取り入れている。また、昭和32(1957)年には、早くも夜コースのガイドの制服に着物が登場。和服デザイナー、大塚末子氏を起用した意欲的なデザインで、グリーンの合着、ワインレッドの冬着、夏は浴衣が用意された。
 昭和30年代に女性から注目を集めたファッションといえば、正田美智子さまこと、現・皇后陛下だろう。昭和33(1958)年、皇太子殿下(現・天皇陛下)との婚約を発表。「ミッチーブーム」が巻き起こり、その清楚なファッションは世の女性の憧れの的となった。この世相を受け、はとバスガイドの制服にも、濃紺でオーソドックスなデザインや白い襟で清楚さを出したものなどが取り入れられていく。

歴代の制服変遷(3) ~昭和40・50年代~ 森英恵氏デザインによる色彩を取り入れた制服へ転換

森英恵デザインのはとバス制服

昭和43(1968)年、森英恵デザインの制服の発表会。黒いスーツの女性が森英恵氏

 高度経済成長期の真っ只中にあった昭和40年代の日本。昭和39(1964)年の東京オリンピックを機に、海外の動向にも人々の目がいくようになる。昭和41(1966)年にビートルズが来日。モッズファッションやマッシュルームカットも上陸した。翌42(1967)年には、モデルのツイッギーが来日。日本でもミニスカートが大流行する。こうした現象に共振し、はとバスガイドの制服もビビッドな色合い、活動的なデザインが取り入れられていく。
 高度経済成長の影響は様々な分野で見られたが、ファッション業界も例外ではなかった。急成長するアパレルメーカーは次々と流行を打ち出し、それを紹介する「an・an」(平凡出版、現マガジンハウス)が昭和45(1970)年に、翌年には「non-no」(集英社)などの雑誌も次々と創刊。ファッションデザイナーという職業にも注目が集まるようになる。はとバスではそれより2年早くファッションデザイナーとして頭角を現し、日本航空の客室乗務員の制服デザインでも注目を集めていた森英恵氏にデザインを依頼。ここでも先見の明を発揮していたといえよう。
 昭和43(1968)年、ミニ丈のワンピースとジャケットのアンサンブルの制服を採用。ユニフォーム発表会には森英恵氏が登場し制服デザインの意図を説明、大きな話題となった。その後も森英恵氏とのコラボは1977年まで続き、バスガイドの制服に対する世の中の認識を一新することなる。

歴代の制服変遷(4) ~昭和50・60年代~ 大胆なデザインやはとバス・カラーの黄色も登場

はとバスガイドと子供達

はとバスのイメージカラーの黄色に黒ベルトの制服が昭和55(1980)年から登場(昭和50年代末に撮影)

 昭和40年代末からのオイルショックで急速な景気減速の局面に入った日本。トイレットペーパーや洗剤の買い占めなど、世の中全体に重苦しい雰囲気が漂う。しかし、はとバスでは様々な分野で攻めの姿勢を崩さなかった。制服においても同様で、時代の暗雲を払拭するかのように、人目をひく大胆なデザイン、カラーの制服を数多く採用している。ニュートラ・ハマトラファッションで人気のあったパンタロンを取り入れたり、クラシカルな印象を醸し出せるケープを付けたり、はとバスのイメージカラーである黄色を全面的に用いるなど、新制服発表のたびに新鮮な驚きを世に与えた。
 そして、不況を脱し、のちにバブルと呼ばれる昭和60年代に突入。ディスコ通いの女性の制服のようになったボディコン・ワンレン、カジュアルファッションの渋カジなど、今も多くの人の記憶に残る時代へと突入していく。

  • 次のページ:ガイドOGが語る、驚きの入社試験内容から教習の実態、乗務エピソード

この記事の続きを読むには、会員登録が必要です。

すでに会員の方は、こちらからログインできます

今田 壮

プロフィール今田 壮ライター&編集&ときどきカメラマン

■1975年 広島県生まれ。東洋大学大学院修士課程中退(哲学専攻)。
■旅、歴史、サブカルチャーを得意とする、編集プロダクション・風来堂代表。
■温泉、山城、猫、路地好き。
■著書に『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社文庫/今泉慎一名義)。
本連載のほか、『秘境路線バスをゆく』シリーズ(イカロス出版)、『全国ローカル路線バス』(じっぴコンパクト新書)など、最近はバスにまつわる本の編集に多数関わっている。

【はとバス昭和物語/編集協力】株式会社P.M.A.トライアングル