勝谷誠彦旅コラム 第8回 紀行家、生まれ育った街 神戸を語る

旅読人コラム2017.03.21

勝谷誠彦旅コラム 第8回 紀行家、生まれ育った街 神戸を語る

神戸港からのぞむ街並み

勝谷誠彦旅コラム 第8回 紀行家、生まれ育った街 神戸を語る

 この稿『旅読人』は海外と国内の私の旅をした地を交互に書いているのだが、アンコールワットの次の回が神戸というのは、いささか申し訳ない気もする。東京中心の編集部からすれば「旅先」なのだろうが、私にとっては生まれ育った地と言っていいのだから。だが、だからこそ伝えられることもあると思いなおした。おつきあい願いたい。

神戸牛

“コウベビーフ”

 海外で百に近い国や地域を旅してきた私だが、神戸ほど好きな街はない。身びいきなのかなあ、と、ときどき立ち止まって考えるが、そんなことはないという結論にいつも達する。大阪人は「こんなええとこないで」といつも言うがそれは「雰囲気」だ。紀行文で食っているプロとしては冷静にさまざまな数値で判断して、神戸という街は「世界のトップレベルである」と言うほかはないのである。
 数値というのは、環境、自然、食、宿、文化などだ。便利さというものも入って来るだろう。六甲山を背負って大阪湾、ひいては瀬戸内海を前にした神戸は環境や自然では言うことはない。“コウベビーフ”も有名だが、あらゆる世界中の食べ物が明治の昔から入ってきて競い合い、すばらしい食文化を作り上げた。よくぞ大阪に毒されなかった…つるかめ、つるかめ(あれはあれでソウルフードとしていいのですが)。電車で行くとわずか3、40分の距離だが両者の味がこうも違うものかと、訪ねた時には驚いて下さい。

幼少期の勝谷氏と母

幼少期の勝谷氏と母上

 宿は神戸オリエンタルホテル、六甲山ホテルという双璧があった。いまの様子は実はあまり知らない。尼崎育ちの私が知っているのは昭和30年から40年にかけての両ホテルだ。これに宝塚ホテル(宝塚市)、ロイヤルホテル(現・リーガロイヤルホテル大阪)を加えた4ホテルのレストランに、私は両親にいつも連れていってもらっていた。「宝塚ホテルのポタージュが離乳食だったのに、どうしてこんな馬鹿に育ったかね」と灘校で下から2番目をキープし続けた私は、いつも母に毒づかれたものである。そんなことするから、馬鹿になるのに。
 当時のそうしたホテルには外国人客の方が多いこともあった。やがて世界を彷徨うことになる私だが、トイレなどで彼ら彼女らにその国の言葉で話しかけられ、頭などを撫でられた経験はやはり大きいだろう。神戸とはそういう街だったし、いまでもそうだ。ほとんどの日本人にとって、さまざまな国々にむけて開かれているということが、当たり前になったような気がしているが、そんなことはない。ウェブでのバーチャルな体験と、とくに人と実際にすれ違う体験というのは違うのである。

旧外国人居留地

神戸の外国人旧居留地

 トアロード(神戸外国人旧居留地と住居のあった北野界隈を結ぶ生活道路。約1.2kmの坂道)を歩いて、焼きたてのパンの匂いをかぐ。その私の横をすり抜けていくインターナショナルスクールの美少年につい立ち止まって見ほれる。私の性癖はあのころ…つるかめつるかめ。いや、少女マンガの世界がそのままリアルに存在したのだ。私が尊敬する大作家の先生たちは、おなじころ欧州に覚悟を決めた旅をなさった。地元にいながら、近い体験ができたというなんという贅沢!
 こんなことを書くといささか軟弱な印象があるだろうが、とんでもない。神戸ッ子はバンカラでもあった。背後に聳える六甲の山々に毎朝登るという、ちょっとおかしいのではないかという風習があった。それがこうじて、とうとう「六甲山全山縦走」というどこかおかしいのではないかというイベントが行われることになったのは、私が中学校3年生の時だ。明石から宝塚まで六甲連山の尾根をすべて歩く。総距離56キロ、標高差の合計は2,000メートルだったか。行政がやらかすにはあまりに冒険でしょう。

勝谷誠彦氏

灘高校1年時、生徒会長時代の勝谷氏

 当時、私は中学3年生だったが、バンカラで売っている灘校地学部地質班のひとりとして(このおかしな人々は、石を採るというより、ガチ歩きがだんだんと目標になっていた)班員を率いてもちろん参加した。ここにおいて私は六甲山、そして神戸と本気で抱き合ったと記憶する。夜明けに明石を出て、宝塚に着くころにはヘッドランプだ。そんなものを持っている中3もおかしいのだが、かかる人生を送っていたのである。あと2、3日まったく脚があがらなかった。だが、今に至るまで、神戸から六甲山を見上げるたびに「おまえとはやらかしたなあ」と思える。
 世界中を歩いてきた私だが、これほど魅力的な街はそうはない。つきあっていい男、というよりも、やはりハマってしまう女だ。それも粘着質ではなく「また帰ってきてね」という。えっ? 都合良すぎるって? そうだよね。でももともと、神戸は、港町。そのように出て帰ってこなかった男たちもたくさんいただろう。男の都合だけではなく、さまざまなしがらみがそうさせたと私は考える。
 神戸という街は、そうしたものがたりをすべて呑み込んで、今日も粋に、とっても古くなったポートタワーを真ん中にたたずんでいる。古くていいのだ。ポートタワーは。六甲山と同じく、変わらぬそれが神戸だから。

勝谷誠彦

著者の紹介勝谷誠彦コラムニスト、写真家、作家

■1960年 兵庫県生まれ。私立灘高校を経て早稲田大学第一文学部文芸専攻卒。
■1985年 文藝春秋社入社。記者として活動。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人などの国内の事件やフィリピン内乱、若王子事件、カンボジア内戦、湾岸戦争などの国際報道を手がける。1996年退社。
■その後 コラムニストや写真家として活躍。食や旅のエッセイで広く知られる。
■現在 「ダイヤモンドZAi」のコラムを始め、雑誌に多数連載を持ち、TV番組「あさパラ!」(よみうりテレビ)、「カツヤマサヒコSHOW」(サンテレビ)、「ニュース女子」(MXテレビ)などに出演中。 『ディアスポラ』(文藝春秋)、『平壌で朝食を。』(光文社)などの小説のほか、「獺祭 天翔ける日の本の酒」(西日本出版社)、対談「日本一わかりやすいイスラーム講座」(アスコム)等、著書多数。 365日無休で朝10時までに400字詰め原稿用紙で12枚以上を送る有料配信メール 『勝谷誠彦の××な日々。』は多くの熱狂的読者を持つ。