はとバス昭和物語  第3回 “戦後最大のスポーツイベント”に奮戦(昭和39年)

旅読人コラム2017.02.28

はとバス昭和物語

昭和39(1964)年10月10日、開催国日本の代表選手団が最後に入場すると国立競技場の熱気は最高潮に

連載「はとバス昭和物語」 ~車窓から見た〝あの頃〟の東京~

 高度経済成長期に突入した昭和30年代、空前の観光ブームによりはとバスの勢いにも拍車がかかった。東京タワーをはじめとする新名所の登場に乗客数も急増。定期輸送だけで年間100万人を突破、バスの保有台数は100台を達成した。
 観光バスの代名詞として「はとバス」の名は人々の記憶にすっかり定着し、昭和38(1963)年9月1日、「はとバス興業株式会社」から現在の「株式会社はとバス」へ満を持して社名変更されたのだった。
 その一年後、昭和39(1964)年10月10日、"平和の祭典"東京オリンピックが開幕。2週間にわたり国民の耳目を集めるとともに、日本の復興を世界にアピールした。NHKや民放放送局はこぞってテレビ中継を行い、開会式の視聴率は脅威の84.7%。6,500万人が同時に観るほどの国民的イベントとなった(NHK放送技術研究所「日本放送技術発達小史」より)。
 この戦後最大のイベントに、はとバスは全面協力。選手・役員の送迎から外国人旅行客の輸送を担うとともに、大会期間中およびその前後に、外国人向け・日本人向けのオリンピック関連の定期観光コースを新設。
 特にオリンピック後は、「熱戦の舞台となった競技場に立ってみたい」という観光客が全国から訪れ、大ヒットコースとなった。

悲願の東京誘致が実現、初のアジア開催に沸く日本

国立競技場

大ヒットとなったオリンピック施設巡りコースで国立競技場へ(昭和39<1964>年)

 全58票中34票を獲得し、ライバル都市に圧勝! 昭和34(1959)年5月26日、ドイツ・ミュンヘンで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会にて、第18回オリンピック競技大会の東京開催が決定した。
 さかのぼること20年、東京は昭和15(1940)年の第12回大会の開催地に決定していたが、支那事変の影響もあり開催を返上していた。その後、第2次世界大戦で壊滅的な打撃を受け、焦土からの奇跡的な国力回復と激動の時代が続いた日本。戦後初の、ロンドンオリンピック(1948年)への参加は認められなかったが、昭和26(1951)年にはIOCへ復帰。フィンランド・ヘルシンキ大会(1952年)には選手団を送り出す。そして、オリンピック東京招致への機運が高まるなか、熱心な招致活動を展開。「アジアになんとしても聖火を」、招致に関わったすべての人たちの熱い思いが結実した瞬間だ。

来たるオリンピックに備えよ! 対策準備委員会を設置

はとバス東京営業所

レジャーブームで賑わう東京営業所の風景(昭和36<1961>年)

 東京オリンピック開催が決まった昭和34(1959)年、日本は前年まで続いた不況を乗り越え、のちに岩戸景気と呼ばれる好況期に突入。産業全般が活況を呈し、大会組織委員会が発足するなどオリンピックの準備も本格化した。交通・観光業界も、上昇を続ける訪日外国人観光需要が、大会を機に大幅増加をすることに期待をかけ、設備投資に余念がなかった。
 はとバスにおいても昭和35(1960)年2月12日、都議会局長、交通局長等の要職を歴任後、第4代社長に就任した渡辺伊之輔氏のもと本格的な準備活動に着手が始まる。オリンピック時に東京を訪れる内外の観光客の輸送及び観光の需要増を見据え、8月1日にオリンピック総合対策準備委員会、旅客誘致宣伝委員会、事故対策委員会を設置。
 なお国内においては、昭和35(1960)年から38(1963)年にかけ空前の観光ブームに沸き、国民総レジャー時代と呼ばれるほどの活況に。はとバスでは、この国内動向への対応と来るオリンピックへの準備と、いわば両面作戦を展開。ますます社会的に責務を増す都内観光事業の充実発展に邁進する。

専用バスガイドによる「はとバス宣伝隊」全国を疾走!

はとバス宣伝カー

「はとバス宣伝隊」の専用車両とガイド

 本格的なレジャーの時代を迎え、国鉄と私鉄を合計した国内鉄道旅客輸送人員は、昭和35(1960)年度から40(1965)年度にかけて、前年比5~6%増を記録。これは以降見たことがないほどの伸びとなった。はとバス「都内半日Aコース」が国鉄周遊コースの指定を受け、上野、東京駅降車口はじめ都内各所の発着所を活用できるようになるとともに、周遊券利用者は10%引きで東京遊覧を楽しむことができた。
 このような交通、観光事業各社との連繋が始まるなか、はとバスでは一層の都内定期観光バス利用客の獲得をめざし、画期的なプロモーション活動「はとバス宣伝隊」を組織した。はとバスと日本交通公社、東京タワー、浅草新世界の共同観光キャラバンで、東北の主要都市および穀倉地帯を宣伝車で走破しながら、観光都市東京の魅力を紹介していくものだ。この東北キャラバンの成功を受け、はとバス宣伝隊と宣伝カーは、北は北海道、南は九州まで活動の場を広げ、活発な宣伝活動を展開していく。

試乗から特別ツアーの特典付き「はとバス友の会」が発足

東京遊覧ニュース

はとバス発行「東京遊覧ニュース」に掲載された、はとバス友の会発足パーティーの記事

 専用の宣伝カーを仕立て全国へとキャラバンに出向く、はとバス宣伝隊。通常のガイド嬢とは異なる専門の宣伝ガイド育成にも乗り出し、昭和36(1961)年7月から活動を開始。ガイドによる踊り、歌などを交えた東京紹介、各種アトラクション、映画上映、抽選会など充実した内容を誇った。ラジオやテレビ、新聞など既存の広告媒体には見られない新鮮さが大いに受け、全国で東京観光旅行の際には、定期観光バスという便利でリーズナブルな手段があることを深く印象づけた。
 この活動に呼応し、昭和39(1964)年2月には「はとバス友の会」が発足。はとバス旅行愛好者を組織した友の会は、はとバスが行う各種試乗会や会員向けバス旅行などに優先参加ができ、会員相互の親睦をはかる、はとバス愛好会ともいうべき存在だった。会費1,100円(現在の4,400円に相当)で行われた第1回友の会会員のバスハイクは大変な盛況となった。当初100名でスタートした「はとバス」の会は、20年後の昭和59(1984)年には2,000名を越えるまでに成長した。

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今田 壮

著者の紹介今田 壮ライター&編集&ときどきカメラマン

■1975年 広島県生まれ。東洋大学大学院修士課程中退(哲学専攻)。
■旅、歴史、サブカルチャーを得意とする、編集プロダクション・風来堂代表。
■温泉、山城、猫、路地好き。
■著書に『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社文庫/今泉慎一名義)。
本連載のほか、『秘境路線バスをゆく』シリーズ(イカロス出版)、『全国ローカル路線バス』(じっぴコンパクト新書)など、最近はバスにまつわる本の編集に多数関わっている。

【はとバス昭和物語/編集協力】株式会社P.M.A.トライアングル