勝谷誠彦旅コラム 第6回 紀行家、但馬で懐旧の情を喚び起こす

旅読人コラム2016.12.27

勝谷誠彦旅コラム 第6回 紀行家、但馬で懐旧の情を喚び起こす

兵庫県北部の但馬地方。海にはすぐに山が迫る。
晩秋では珍しい夏のように美しい日本海。

勝谷誠彦旅コラム 第6回 紀行家、但馬で懐旧の情を喚び起こす

豊岡市役所

兵庫県北部(但馬地方)に位置する豊岡市。
ヨーロッパ風の豊岡市役所。

 旅とは縦横に移動することである。まずは横軸である。ところが時には縦軸が加わってくる。自らの記憶、かつてその地を旅したことなどが重なって来るのだ。それは旅をより深くする。「なぜあの時に」という思いは、時にひとに漏らすことはない。
 但馬を、旅した。テレビ局の仕事である。そうした、いわば決められた旅に、昔の思い出が重なるのが、旅というものの楽しさであり哀しさでもある。私は兵庫県で生まれ育った。大阪湾に面した、尼崎市だ。小学校のあれは3年生か4年生であったろうか。日本や世界の地理歴史を学ぶ前に、徹底的に郷土について知るという素晴らしい授業があった。愛国心はしばしばパトリオティズムと訳されるが、これは本来「郷土愛」のことだ。海外の人々と話していると、その愛情は畢竟(ひっきょう)、故郷に注がれていることがわかる。日本列島は小さいところに欧米列強に伍しようと大日本帝国を作ってしまったので愛国とは国家愛になった。おそらくそれ以前に愛していたのは自分の藩だったであろう。

山陰海岸

山陰海岸は地質学的にまことに面白い。
だからジオパークに指定されている。

 話が逸れた。あるいは私が幼かったころにはまだそういう郷土愛の伝統があったのかも知れぬ。少なくとも両親はそうだった。授業で教えられた県内の場所へ、車で徹底的に連れて行ってくれた。子どものころの記憶というのは恐ろしい。私は今でも兵庫県のあらゆる場所の特徴を諳じることができる。
 何がよかったと言って、但馬を知り得たことであった。兵庫県というのは日本有数の雄県であって、列島の端っこをのぞけば、太平洋側(瀬戸内海)から日本海側に突き抜けている県はここしかない。それだけに文化も風土も南北ではまったく違う。但馬に行くというのは、子どもにとっては異国を踏むがごときだった。このほど歩いてみて、そうした思い出が次々と蘇る。カニが旨い。日本酒の『香住鶴』が鮮やかだ。紅葉ははるかに私の生地である南側よりも色づいている。

香住観光協会

香住(かすみ)観光協会にて。カニかに蟹カニ。

 兵庫県に来ることがあれば、赤穂から神戸といった東西だけでなく、ぜひとも南北を旅して欲しい。昔は不便そのものだったが、今は驚くほど高速道路網が整っている。1時間走るごとに、空気も味も変わっていく。これほどの変化に飛んだ県を私は知らない。できれば、南側と北側で一泊ずつして欲しい。本数は少ないが、時刻をあわせれば但馬空港からあっという間に飛ぶこともできる。
 日本海の海の幸を堪能していた私は、ある場所で肉が出てきていぶかしんだ。次の瞬間「あっ」と自分の迂闊さを恥じた。但馬牛ではないか。世界に冠たるコウベビーフは、この但馬牛が運ばれたものである。ハイカラな港町のシェフたちの腕が活かしたわけだが、この時代、そうした名人は但馬にもいる。魚とおなじ、とれとれの但馬牛を現地で味わうことができるのだ。いや、とれとれは実はあまりよろしくない。魚も肉も、実は熟成された方が旨いことが、最近ではよくわかってきている。そうした中央の最先端の情報や技術を、但馬の名人たちもよく理解していることがわかった。

但馬の地酒、香住鶴

地元食材に合う但馬の地酒、香住鶴にて

 もちろん海の幸については言うまでもない。香住と言えばカニの代名詞だが、一匹何万円もするあの巨大なカニを地元の人たちはあまり食べない。あくまでもお客人むけであって、食べてもらってナンボである。小さなセイコと言われるカニが愛されている。脚にはほとんど身などありはしない。それよりもタマゴだ。ポロポロとしたタマゴは微妙にお互いに結びついていて、それをプチリと歯で切り割る食感が楽しいのである。そこに日本酒をグビリ。極楽。
 温泉はそこらじゅうにある。志賀直哉の小説で有名になった城崎温泉は、川沿いに並ぶ宿の風情が当時のそのままだ。一方で湯村温泉に入踏み込むと濛々たる湯煙が目に入る。「荒湯」と呼ばれる場所だ。露天風呂などではない。とても入れる温度ではない。横の土産物屋で、ビニールのネットに入った生卵や薩摩芋、トウモロコシなどを売っている。それを湯の中にしずめると、たちどころに茹であがる。

湯村温泉の湯つぼ

但馬地方の湯村温泉。
温泉たまごを作るのに利用されている湯つぼ。

 川風に吹かれながら、卵の殻をむく。みんな「あちちちち」と叫ぶが、それがまた楽しい。塩を紙に包んでくれるので、それをつけてほおばる。不思議なことに、柔らかさがコンロで茹でたのと違うのだ。味もやわらかい気がする。ここに『香住鶴』のカップ酒をグッ。目の前の荒湯が100 度近いのでなければ、服を脱いで飛びこんでいただろう。
 湯村温泉は名作「夢千代日記」の舞台だ。あの薄幸の物語には確かに雪が似合う。しかし、春夏秋冬いずれでも、この地と但馬は私は魅了してやまない。兵庫県の「北」というのはあまりご存じなかったでしょう。隣の鳥取や京都の日本海側は知られているのに。騙されたと思って来てみて下さい。きっととりこになりますよ。

勝谷誠彦

プロフィール勝谷誠彦コラムニスト、写真家、作家

■1960年 兵庫県生まれ。私立灘高校を経て早稲田大学第一文学部文芸専攻卒。
■1985年 文藝春秋社入社。記者として活動。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人などの国内の事件やフィリピン内乱、若王子事件、カンボジア内戦、湾岸戦争などの国際報道を手がける。1996年退社。
■その後 コラムニストや写真家として活躍。食や旅のエッセイで広く知られる。
■現在 「ダイヤモンドZAi」のコラムを始め、雑誌に多数連載を持ち、TV番組「あさパラ!」(よみうりテレビ)、「カツヤマサヒコSHOW」(サンテレビ)、「ニュース女子」(MXテレビ)などに出演中。 『ディアスポラ』(文藝春秋)、『平壌で朝食を。』(光文社)などの小説のほか、「獺祭 天翔ける日の本の酒」(西日本出版社)、対談「日本一わかりやすいイスラーム講座」(アスコム)等、著書多数。 365日無休で朝10時までに400字詰め原稿用紙で12枚以上を送る有料配信メール 『勝谷誠彦の××な日々。』