はとバス昭和物語 最終回 昭和から平成へと受け継がれる「はとバス・イズム」

旅読人コラム2017.09.26

はとバス昭和物語

アジアを中心に、世界各国からの観光客にも知名度抜群のはとバス。多くの言語と外国人ならではのニーズに対応したコースを運行中だ

連載「はとバス昭和物語」 ~車窓から見た〝あの頃〟の東京~

 バブル好景気の終焉とともに日本経済は停滞、はとバスも戦後何度目かとなる苦境の時を迎えることになった。しかし、はとバスでは一層の企業努力を続け、見事な復活を果たす。
 今回は、そんな平成の不況脱出までの流れを皮切りに、長い人気を誇るはとバスのロングセラーコースの変遷と、時代に応じて次々に生み出されていったユニークなコースの数々をまずは取り上げる。
 さらに、平成32(2020)年の東京オリンピックを控え、今まさに一層の盛り上がりを見せる外国人向けコースの歴史も紹介することにしよう。

平成不況に様々な取り組みで対応

はとバス「夢舞台・ジュリアナ東京と舞浜リゾート」コース

空前のディスコブームで開始した「夢舞台・ジュリアナ東京と舞浜リゾート」コースでは、乗客にジュリ扇をプレゼントした

 平成3(1991)年にバブル好景気は終焉。いわゆる「平成不況」下で、はとバスは平成9(1997)年3月に公式のホームページを開設、翌1月からはウェブ予約の受付を開始した。8月からは初となる乗り降り自由型の循環バス「ぐるり東京号」を、翌年には創立50周年謝恩企画コースを運行、長野五輪への特別大量輸送も行っている。
 そんな不況への対策会議の席上で「お茶の味が落ちたというお客様の言葉にガイドが肩身の狭い思いをしている」との発言が出た。経費削減のため、茶葉の質を落としたことへの乗客からのダイレクトな反応だった。「これまでは経費がかさむことでも、お客様の満足に繋がるなら喜んでやってきた」「『本当に喜んでもらえるサービスとは何か』という原点に立ち戻るべき」といった声が次々上がるなか、第11代・宮端社長は茶葉のランクアップを即断する。これは、自社の復活に向け、はとバス全社員が一丸となって新たな一歩を踏み出す大きなきっかけとなる出来事であった。

「お客様第一主義」を合言葉に業績を回復

はとバス「はがきチェック会議」

毎月1回の「はがきチェック会議」には社長をはじめ、各部署の責任者が参加。乗客からのはがきを1枚1枚検討し、対策を話し合う

 景気動向に関わらず、乗客が真に求めるものを追求し、応え続けてきたはとバス。平成12(2000)年には、乗客や社員の意見が集まりやすい仕組み作りのため「お客様サービス推進部」を新設。また、社長からパートを含む全社員に「サービス研修」への参加を義務付け、経理や運行管理などの間接部門も年10日ほどの添乗業務を行うこととした。
 そんな中で新しく生まれた習慣がある。運行の前後に、ガイドだけでなく運転士までが乗客に挨拶をするようになったのだ。すると「運転士さんから挨拶をされるとは思いませんでした。1日安心して旅ができました」といった利用者からの手紙が会社へ届くようになった。
 そういった地道な取り組みを全社で続けた結果、徐々に客足は回復していく。平成13(2001)年の決算では、マイナスから一気に黒字転換し、はとバスは復活を遂げたのだった。

創業当初から続く定番の人気コース

はとバス定期観光「都内半日Aコース」

はとバス定期観光コースの第1号である「都内半日Aコース」。立ち寄り先の浅草・仲見世で撮影された1枚

 はとバスの記念すべき定期観光コース第1号は、昭和24(1949)年3月19日午前9時に出発した「都内半日Aコース」であった。それからおよそ70年を経た現在も「東京半日(A)」として運行中で、「食事なしでツアーの自由度が高い」と年間4万人もの乗客を集めている。 
 当初は、上野を出発地に上野公園、皇居前、赤坂離宮(現・迎賓館)、浅草寺の4ヶ所で下車。所要時間は3時間半で、午前9時と午後1時の2便があった。現在は、皇居、浅草、東京タワーの3ヶ所を巡って所要は4時間半。東京駅と新宿駅からそれぞれ午前10時、11時、午後1時の3便が催行されている。開始当時は上野駅が東北方面からの列車の終発着駅であったこともあり、はとバスも上野発とされていたのだ。
 立ち寄り場所はいずれも「東京観光」の定番スポットながら、はとバス史上最長の超ロングセラーコースとして愛されている。

2016年度・1番人気コースの今と昔

はとバス・オープンバス「オー・ソラ・ミオ」

レインボーブリッジを行く「オー・ソラ・ミオ」。抜群の開放感とともに、他ではお目にかかれない大迫力の東京の風景を楽しめる

 一方、昨年2016年度に全コース中最多となる、年間10万1,048人を集客したのが「TOKYOパノラマドライブ」だ。
 今から30余年前の昭和58(1983)年1月、導入されたばかりのドイツ製2階建てバスを使用してスタート。当初は、皇居坂下門を出発し、靖国通り─内堀通り─首都高速4号線─新宿副都心─新宿通り─迎賓館前─赤坂見附─日比谷─銀座通り─京橋を車内から眺望する所要2時間15分のコースだった。
 コースがより一層の人気を集めるようになったのは、平成21(2009)年秋に“屋根なし”の2階建てオープンバス「オー・ソラ・ミオ」が登場してからだ。360度視界を遮るものがなく、空を見上げれば超高層ビル群がまるで頭上が降り注いでくるかのような迫力で、オープンバスならではの疾走感も格別。また所要1時間、1日16便と利便性が高く、東京タワー、レインボーブリッジ、お台場、築地、歌舞伎座など東京のランドマークを手軽に回れるところも魅力だ。
 「東京半日(A)」と「TOKYOパノラマドライブ」。長期に渡る人気コースの影に、いつの時代も「お客様第一主義」を貫いてきた、はとバスの企業努力を忘れることはできない。

  • 次のページ:時代、世相を機敏に捉えたユニークコースの数々を紹介

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今田 壮

プロフィール今田 壮ライター&編集&ときどきカメラマン

■1975年 広島県生まれ。東洋大学大学院修士課程中退(哲学専攻)。
■旅、歴史、サブカルチャーを得意とする、編集プロダクション・風来堂代表。
■温泉、山城、猫、路地好き。
■著書に『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社文庫/今泉慎一名義)。
本連載のほか、『秘境路線バスをゆく』シリーズ(イカロス出版)、『全国ローカル路線バス』(じっぴコンパクト新書)など、最近はバスにまつわる本の編集に多数関わっている。

【はとバス昭和物語/編集協力】株式会社P.M.A.トライアングル