はとバス昭和物語  第7回 ディズニーランド(R)特需と景気の波の中で(昭和58~64年)

旅読人コラム2017.08.29

はとバス昭和物語(昭和58~64年)

昭和60(1985)年頃に撮影された、皇居前でのひとコマ。幅広い世代に愛されるはとバスはいつの時代も変わらない

連載「はとバス昭和物語」 ~車窓から見た〝あの頃〟の東京~

 70年代の経済低成長時代の苦闘の先に見えた明るい光が、国内アミューズメント施設史上類を見ない規模と内容を備えた、東京ディズニーランド(R)の誕生だった。同園を組み込んだはとバスの各コースは、予想をはるかに上回る集客を果たす。
 そして時代はバブルの好景気へと突入。世の消費動向に対応し、さらなる豪華バス導入や次世代の東京湾ウォーターフロント観光に向けたクルーズ船の運航を新たに開始した。
 急速に変わりゆく時代状況の中でも決して止むことのなかったその挑戦の根底にあったのは、創業以来の「お客様第一主義」だった。

かつてない、米国生まれの巨大観光施設が出現

昭和58(1983)年発行の新パンフレット

A4冊子形式になった昭和58(1983)年発行の新パンフレット。サイズを大型化することで読みやすくなり、臨場感もアップ!

 はとバスが創立35周年を迎えた昭和58(1983)年、日本の観光業界全体を揺るがすような“黒船”が海の向こうのアメリカからやって来た。米国オーランド(カリフォルニア州)、アナハイム(フロリダ州)に次ぐ世界で第3番目、本家・米国以外では初となる東京ディズニーランド(R)が、昭和58(1983)年4月15日にオープンしたのである。
 千葉県浦安市舞浜の約25万坪(当時)の埋立地に総工費約1,800億円を投入、5つの主題を持つテーマランドにより構成されたディズニーランド(R)。規模、内容ともに既存の娯楽施設とは一線を画すもので、子どもばかりでなく大人も一緒に楽しめる一大ファミリーエンターテインメントであることが最大の特徴だった。
 あらゆる世代の人々が共に驚き、発見し、楽しめる世界を目指した園内は、現実世界を思わせる自動販売機の類は一台も置かれず、ゴミやタバコの吸殻などはスタッフが素早く片付けるという徹底ぶりである。また乗物の座席やベンチに一人がけのものはなく、必ず何人かが一緒に座れるように造られるなど、心温かい配慮と工夫が随所に施された、まさに「夢と魔法の国」だった。

コースの準備まで規格外だったディズニーランド(R)

メテオールE440型

2階建てバス第一号「メテオールE440型」は、ディズニーランド(R)が開業したのと同じ、昭和58(1983)年に運行を開始した

 はとバスでは、東京ディズニーランド(R)開園前年の昭和57(1982)年に対策委員会を設置。同園を定期観光コースに盛り込むべく準備を始めた。国鉄や東京空港交通が東京駅から、オリエンタルランド交通が浦安駅から直行バスを運行するとの情報もあったが、それでもなお定期観光バスとしての運行に十分な需要があると見込まれたのだ。創立35周年という記念すべき節目の年にこの巨大テーマパークを新たなる飛躍への起爆剤とするべく、社内一丸となってのコース開発は熱を帯びたものになった。
 米国発のディズニーランド(R)は、その全てがそれまでの国内の遊園地の枠には収まらない全く新しい施設で、同園を含むコースの準備も従来とは大きく異なるものとなった。例えば、ディズニーランド(R)は園関連の写真の取り扱いにとても厳しいため、ツアーパンフレット制作の際には原稿を園側に直接持ち込んで確認を依頼、使用する写真のネガも担当者間の手渡しで行われた。その他、掲載する写真の下に著作権を意味する記号、(c)を付けたことも当時としてはとても珍しいことだったという。

爆発的人気を博した、ディズニーランド(R)コース

創立35周年記念式典

昭和58(1983)年8月、創立35周年記念式典で挨拶に立つ、第7代・前田弘社長

 そして昭和58(1983)年、満を持して同時運行を開始したのが「東京ディズニーランド(R)と皇居・東京タワーコース」「東京ディズニーランド(R)1日コース」の2つのコースである。前者は東京ディズニーランド(R)への4時間の滞在に皇居前、東京タワー観光をプラスした所要7時間半~8時間のコースで、料金はアトラクション券10枚と東京タワー搭乗券付きの大人7,400円。後者は4時間半のディズニーランド(R)滞在のみのコースで、所要6~7時間、料金はアトラクション券付きの大人6,300円だった。
 両コースの乗客は最初の5カ月だけで2万6,000人にものぼり、同時期の昼の定期観光コースの全乗客の92%に当たる突出した数字をたたき出した。次いで夏休みに合わせスタートした「夜の東京ディズニーランド(R)コース」も2カ月間で3,361人を集め、同時期の夜の定期観光コースの85%にあたる数字を記録。
 さらに外国人向けにも、皇居-東京ディズニーランド(R)-浅草を巡る「東京ディズニーランド(R)とシティツアー」が昭和58(1983)年4月から開始。同年7~10月には「トワイライトツアー」も運行を始めている。
 

東京の新たな必須立ち寄りスポットが業績全体を牽引

ディズニーランド(R)開業の頃のバスガイド

ディズニーランド(R)開業の頃のガイドたち。鮮やかで品のある制服が目をひく

 ディズニーランド(R)コースでは、ディズニーのキャラクターや施設の創始者、ウォルト・ディズニーに関するエピソードのほか、ショーの時間やアトラクションの運行状況、お土産情報などをバスガイドが紹介した。今と異なりインターネットなどの情報メディアがない時代、ガイド自らが園内マップなどをつぶさに調べ、現地を下見して仕入れた最新情報だった。その他、広大な駐車場から入り口までお客様をスムーズに誘導できるよう、何度も練習が行われたという。
 皇居、浅草、銀座、東京タワーといった昭和30年代から続く定番人気スポットとは一線を画す東京ディズニーランド(R)は、瞬く間に東京観光のキラーコンテンツへと成長する。初年度1,000万人と見込まれていた入場者数は、開業わずか半年で600万人を突破。はとバスのディズニーランド(R)送客もうなぎのぼりに増えていった。
 これに引っ張られるように、他の周遊コースなどの乗客数にも回復の兆しが見えはじめた。
 
 

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今田 壮

プロフィール今田 壮ライター&編集&ときどきカメラマン

■1975年 広島県生まれ。東洋大学大学院修士課程中退(哲学専攻)。
■旅、歴史、サブカルチャーを得意とする、編集プロダクション・風来堂代表。
■温泉、山城、猫、路地好き。
■著書に『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社文庫/今泉慎一名義)。
本連載のほか、『秘境路線バスをゆく』シリーズ(イカロス出版)、『全国ローカル路線バス』(じっぴコンパクト新書)など、最近はバスにまつわる本の編集に多数関わっている。

【はとバス昭和物語/編集協力】株式会社P.M.A.トライアングル